自分の心が分からない、
自分がどうしたいのか分からないと悩むことはあるでしょう。
確かに悩む気持ちはわかりますが結論から言ってしまいますと、
自分の心なんて分からなくて当然です。
人の心というのは常に移ろいゆくものであり、1秒前と1秒後に何を感じているかなんて変わってしまっているからです。
そんなすぐに変わってしまう心を全て知ることなんて出来るはずがありません。
だから自分の心なんて分からなくて当然なのです。
「自分の心を全て知ることは出来ない」ということを知った上で、それを前提に話していきたいと思います。
自分の心を知る方法
自分の心を知るというのはなかなか自分では難しいものです。
無意識に生活していたら多分ずっと知れずにいくでしょう。
しかし一人でも自分の心を知ることは可能なので、是非試して欲しいと思います。
心のざわざわに注意する
自分の心を知るというのはなかなか難しいことですがかなり分かりやすい方法としては、
「心のざわざわ」という感情に焦点を当てると分かりやすいです。
「なんとなく胸がざわざわする」
「なんか落ち着かない」
というような感情というのは、何かを感じているけれど自覚がないという状態です。
それは心や潜在意識では分かっているけれど自分の頭では分かっていないということです。
ざわざわするということは何もなければ感じないものです。
ですから何かしらの感情を持っているということです。
胸騒ぎというのも同じ感情です。
心にざわざわがあるということは心が何かしら自分に訴えかけていることになるので、その感情がどうして生まれてきているのかを考えてみると、自分の心を声の正体が分かるでしょう。
もし胸騒ぎやざわざわするという感情が生まれたら、その理由をもう一度探してみると良いでしょう。
無意識でやっている行動に目を向ける
自分自身が無意識にやっている行動に目を向けるというのもとても大切なことです。
例えば、
普段はやらないのにストレスが溜まったり疲れてくると、爪を噛んでしまうというような癖みたいなものがある人もいます。
そうやってそこまで気にしていないけど、なんとなくやってしまっているものに目を向けてみると色々気付くことがあるでしょう。
なんとなく掃除を始めたくなる時もあるのではないでしょうか。
それは何かこれからやりたいことがあって落ち着かないから掃除でもしようと思っていたりします。
落ち着きたいから部屋の掃除を始めてしまう。
そういったサインの場合があります。
そうやって普段とは違う行動をしようと思うということは、何かしらの感情の変化があるということなのです。
自分が何を考えているかに集中してみる
自分で考え事をするときは、自分の意思で考えるでしょう。
しかし勝手に考えてしまうこともあります。
「ちょっと暇な時間があれば仕事のことを考えてしまう」
「不意に元彼を思い出してしまう」
というような勝手に生まれてきてしまう思考というのは、それだけそのものが自分の心の中を占めている可能性があります。
なのでその勝手に生まれてくる思考に集中してみると、自分が何を常に考えていて、自分の心の中に何が入っているのかということに気付くことが出来るのです。
無心になってみる
一度自分で何も考えないで無心になってみるのも良いかも知れません。
人間というのは一日の中でかなりの時間を考え事に使っています。
「今日の夜ご飯はどうしようか」
「明日から仕事嫌だな」
「買い物行かなくちゃ」
というように小さなことから大きなことまで入れると本当にたくさんのことを気にして考えています。
なので一度無心になってみると、その時にふと生まれてくる思考というのは普段と違った思考かも知れませんし、普段はそんなこと考えたこともないのになと思う事かも知れません。
そのように無心になった時に生まれる思考というのは案外自分の心の声だったりする可能性があるのです。
もちろん全てが心の中の声というわけではないので、
一つの参考としてやってみると良いでしょう。
瞑想の正しいやり方はこちらをご覧ください。
自分が欲しいものに集中する
自分が今求めているものや欲しいと思っているものに目を向けると新しい発見がある場合があります。
「今は辛いものが食べたい」
と思ったときは刺激を求めていたりストレス発散したいと思っていたりします。
服が欲しいなと思っていたら、ちょっと変わりたいと思っているかも知れません。
全員に当てはまるわけではありませんが、自分の中では法則みたいなものがあります。
服が欲しいときは、楽しみたいと思っているかも知れません。
それは人それぞれなので、自分なりに自分のことを分析してみましょう。
心は無意識に色んなサインを出している
自分的には無意識でも、心は何かしらのサインを出しているのです。
どうしても普通に生活していると、
無意識に感じていること=気のせい
という考え方になってしまいます。
気のせい=無いもの
という考えになってしまうことが多々あります。
気のせいだったとしても自分は何かを感じているわけですから、全く存在しないものということではないでしょう。
現実には存在しなくても、自分が感じているわけですから少なくとも自分の世界の中では存在するものです。
それを気のせいという言葉で片付けるのは勿体無いです。
もちろん気にし過ぎることも良いこととは言えませんが、せっかく自分が感じていることですからそのサインに気を付けていれば、何かしらの気付きを得ることが出来るでしょう。
気付きとは自分の心に気付くことを言う
よく「気付き」という言葉を使うことがあるでしょう。
そして深く気付くことは「悟り」という言葉になります。
その悟りというのは、気付くことで悟りに近づきます。
そしてその気付きは、自分の心に気付くことで得ることが出来ます。
どんなに新しい情報を得たところで気付きを得ることは出来ません。
気付きを得るきっかけにはなりますが、それは気付きではないのです。
じゃあどうすれば気付きを得ることが出来るのかというと、
自分の心に気付くことなのです。
どういうことかというと、
自分の心が何を考えて何を感じているかということを知ることでたくさんのことを知ることが出来ます。
例えば、
自分がずっとやりたいことがプロ野球選手になりたいと思っていたとしても、それに気付かずに必死に勉強して大手企業の入社を目指したとします。
それではどうしても心のもやもやが取れずに、どうしてこんな気持ちになるんだろうと悩むことがあるでしょう。
そして、プロ野球を観に行った時に気付くことになります。
「俺のやりたいことはこれだったんだ」ということに。
そうやって外部の情報によって自分の心に気付くこと、それこそが悟りなのです。
自分の心を知ることこそ気付きなのです。
心は何かを求めている
刺激を求めたり、何かを求めたりするのは心が何かを欲しがっているのです。
当然の話なのですが、改めてお話しします。
何かが欲しいという感情を何となくそう思ったからという言葉で片付けることは多々あります。
別に悩んでいなければそれで良いのですが、悩んでいるのならその求めている感情を分析することで、自分の心の声に気付くことが出来るのです。
先ほども言いましたように、
洋服を求めているということはそれだけ自分が変わりたいと思っている可能性があります。
ブランド品を急に求め始めたりすることもあるでしょう。
そういう時には、何かしらのサインがあるはずです。
「もっと注目してほしい」
「もっとすごい自分になりたい」
そう思っているかも知れません。
その気持ちに気付いてあげる事が出来れば、悩みを解決するきっかけになるでしょう。
心の平穏は心を知れているから訪れる
心の平穏というのは、ざわざわした気持ちがないという事。
それは何も求めていなかったり、不安もないという事です。
それは満たされているという事なのです。
満たされていれば何も気持ちにざわつきがなく、サインを送ることもありません。
もちろんお腹が空いたとか、喉が渇いたというような生理的なサインは送ってきますが、心のサインというのはないでしょう。
そういう状態はとても良い状態と言えます。
全てに満ち足りていないとしても、
どうして満ち足りていないのかを知っていれば、焦ったりとか不安になったりはしません。
何をすれば良いのか明確なので迷いみたいなものはないのです。
ですから、
自分の心を知ることが出来れば心が変な風にざわついたりはしないのです。
なので自分の心のサインに気付くこと、心を知ることが重要であり、悟りと言えるのです。
何か嫌な気持ちがあったり、自分の気持ちが分からないと思うのなら自分の心の声を探してみると良いでしょう。
最後に一言
私たちはあまり自分の心の声を気にして生活はしていないでしょう。
それよりも自分の思考や考え方に気が行ってしまってなかなか心の声(潜在意識)に気付くことが出来ないのです。
しかし気付かないだけで、心というのはたくさんのサインを送っていますし、自分が進むべき方向を示してくれているものです。
どうしても心に嘘はつくことが出来ませんから、やりたくないことがあったとして、それをずっと我慢してやっていても辛さは消えないのです。
心が嫌だと言っていたらそれは嫌なのです。
なのでどうして嫌なのか、そしてどういう方向へ進めば良いのかに気付くことが出来れば、そういう方向へ進んでいくにつれて悩みも心のざわざわも消えていきます。
それだけ心を知るということは大きな効果があるのです。
自分の心が分からない、
何をしたいのか分からないと思うのであれば、
是非この記事に書いたことを実践して欲しいなと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。