「完璧を求める」
確かに完璧があるのなら完璧を求めたいです。
私も基本的には完璧主義の心を持っているのでよく分かります。
しかし完璧とは何でしょうか。
失敗しないことが完璧なのでしょうか。
世界中のみんなに賛同されることが完璧なのでしょうか。
最高の状態になることが完璧なのでしょうか。
では最高の状態とはどんな状態なのでしょうか。
最高の状態になったらそれ以上良い状態はないでしょうか。
そうやって考えれば考えるほど完璧なんて存在しないなと思ってしまいます。
最高の状態なんて人それぞれですし、自分が完璧だと思っても他人がそれを見て完璧ではないと思うことはあるでしょう。
逆にどんな不完全な状態でも自分が完璧だと思えばそれは完璧になってしまうでしょう。
結局は自分の気持ちです。
完璧を求めることというのは自分が納得したいだけなのです。
自分が失敗したくないから言い訳しているだけです。
「まだ自分は完璧ではない」
「もっとやらないと嫌だ」
「もっと完璧に仕上げたい」
そういう気持ちがあるのは当然みんな持っている感情でしょう。
ではその完璧というのはいつやってくるのでしょうか。
そもそもそんな完璧な自分がやってくる日はあるのでしょうか。
完璧主義な気持ちを持っている人は気付くべきです。
完璧など存在しないということに。
完璧を求めて突き詰めてやることで、
「尖る」
「突出する」ことは出来るかも知れませんが、それは完璧ではありません。
いつまで経っても完璧を求めてもやってくることはないのです。
何故なら完璧なんて存在しないからです。
「よし!これで完璧になった」と思っても、その状態になればまた気になるところが出てくるでしょう。
この世というのは上には上がいます。
もっと上があるのです。
もっと上があるのであればそれは完璧ではないでしょう。
完璧にならないと嫌だということは、
「世界で一番すごい人にならないと嫌だ」ということです。
あなたは世界一になれますか?
その分野で世界一を目指しているのですか?
それなら完璧を求めても良いでしょう。
しかしそこまで求めてはいない人がほとんどです。
それなら別に完璧を求める意味はないのです。
完璧というのは自分の思い込みであって、自己満足の世界です。
自分が納得したいだけなのです。
そのことに気づく必要があるのです。
どんなに完璧になったとしてもそれは完璧ではないのですから、求める必要はないと私は思います。
自分が完璧だと思うことなら最高なのでしょうか。
私が完璧だと思うブログ記事を書くことが出来れば世界中のみんなに評価されるのでしょうか。
まずあり得ないでしょう。
だったらそれは完璧ではないでしょう。
もちろん完璧を求めることが好きでやっているのならそれでも構いません。
しかしその他にも欲しい現実があるのなら、完璧主義は捨てるべきです。
そして完璧主義のせいで悩んでいるのなら今すぐにやめるべきです。
完璧を求めている状況こそ完璧ではないのです。
他の記事でも書いているように、人間は求めているものが手に入るようになっています。
完璧を求めようとしても手に入るのは完璧だと思っている自分しか手に入りません。
それなら完璧を求めるのではなく、本当に欲しい現実を手に入れましょう。