神様というのはどうしても人間の形をしているように思っている人が多いと思いますが、実際に神様が存在しているかというと形としてはありません。
神様というのは、
形があるわけではなく常に自分の周りにいる存在なのです。
神様とはどんな存在なのか
神様とはどんな存在なのかというと、
人間の形をしたようなよく漫画に出てくるような確立した存在ではありません。
神様はこの世界の摂理そのものであり、この世界全体の事を神様と呼んでいるのです。
よく神様の仕業でバチ(罰)が当たったということを言われたりしますが、それは完全に間違いではありません。
この世界の摂理、宇宙の法則が神様の存在なので宇宙の法則によって引き起こされた罰であるのですから神様が天罰を下したという考え方が間違いではないでしょう。
しかし神様自体に意思があるわけではなく常に目の前に存在している状態です。
神様自体が気まぐれで天罰を下したりすることはないのです。
神様とは宇宙の法則そのもの
神様というのは宇宙の法則そのもののことを言います。
宇宙の法則というのは、
この世の法則。自然の法則そのもののことをいいます。
上と下があり、物は上から下へ落ちるもの。
というような自然の現象そのもののことを言います。
水が蒸発すれば水蒸気になる。
というような自然現象が自然の法則です。
よくお天道様や神様は常に自分たちを見ているという言葉を昔の人は使うでしょう。
それは宇宙の法則から人は逃れることが出来ずに常にその宇宙の法則の中で生きています。
ですから常に宇宙の法則(神様)の中で生きているのですから常に神様は自分たちを見ているのです。
誰も重力から逆らうことは出来ません。
ですから神様(宇宙の法則)から逃れることは出来ないのです。
悪いことをすれば因果応報で返ってくるというのも宇宙の法則によって引き起こされるものなのです。
良い行いをすれば良い結果として自分に返ってくる。
全ては神様(宇宙の法則)が起こしているものなのです。
神様は人間が作った存在
神様というのは人間が作った存在です。
もともと神様という考え方はなかったでしょう。
しかし人は神様という目に見えないような存在を作りました。
それはどうして人は神様という存在を作ったかというと、
人は知識があり信仰心があります。
そして良心というものを必ず持っているのです。
その良心という感情を持っているので、
良い行いをしている人は救われる。
悪い人には悪いことが起きるというような考えを持っているのです。
その良心や信仰心が神様という存在を作り出したのです。
それはとても良いことだと言えます。
もし神様という存在が全くもって否定されるのだとしたら、
何をやってもバチ(天罰)が下ることはないということになってしまうのですから悪いことはいくらでもしても良いということになってしまいます。
それでは世界が破滅してしまうでしょう。
どこかで悪いことをすれば悪いことが起きるという心を人は持っているから神様という存在を作り、そして信じているのです。
神様は完璧な存在でも絶対的な存在でもない
神様というのはなんでも知っている完璧な存在というイメージがありますがそんなことはありません。
神様は完璧で完全な存在ではないのです。
この世には、
確率や偶然に起きることというのはあります。
サイコロを投げて出る目ははじめから決められているわけではないのです。
その出る目は確率であり不確定要素なのです。
この世には神様も知ることのないような偶然というものが存在するのです。
もちろんその偶然というものは、
宇宙の法則の中で起きることですから全くの偶然というものではありません。
サイコロの振り方によって出る目は決まりますし、
100%偶然というものではありませんが100%決められているわけではないのです。
東京タワーの一番上から紙を一枚落としたとします。
その落下地点というのは毎回全く同じところに落ちるわけではないでしょう。
それだけこの世界には確実に決められていないものという偶然が存在しているのです。
その偶然がある限りは、
神様(宇宙の法則)というのは絶対的なものではないのです。
単なる偶然というものも少なからず存在するのです。
あとがき
神様という存在は絶対的な完璧な存在というわけではありません。
そして神様に意思があってその意思がコロコロ変わることもないのです。
宇宙の法則に従ってこの世が決定されているのです。
そしてこの世には不確定要素というものが存在します。
偶然というものがあるのです。
ずっと良い行いをしているはずなのに悪いことが続く。
悪いことをしている人が幸せに暮らしている。
そんな風に理不尽さを感じてしまうことはあるかもしれません。
しかしそれは宇宙の法則の中での話なので、人の決めたルールの通りにはならないのです。
良い行いをすれば良い行いとして返ってくるかと言われるとそんなことはありません。
良い行いというものの定義自体が曖昧なものですし、
人に優しくしたから人に優しくしてもらえるというものではないのです。
自分がどんなに人に優しくしたとしても、
その優しさが相手にとって有難迷惑であったとしたらその優しさは相手には伝わらないでしょう。
結果的に自分に優しくされるという結果になることはないのです。
自分の気持ちだけでこの世界が決まるわけではないのです。
その時その場の状況やいろんな要素によって全てが決定されていくのです。
突然交通事故に遭うことだってあるかもしれません。
それはどんなに気をつけていたとしても起こるときには起こってしまうのです。
それは偶然によるものかもしれません。
しかしだからと言って、
みんなが平等に起こるかと言われるとそんなことはありません。
普段から荒い運転をしている人は交通事故を起こしやすいですし、普段から夜更かしをしている人は集中力が散漫になり悪い結果になりやすくなることはあります。
全ての行動と結果がイコールで起こるものではありません。
しかし全ての行動は結果として現れているのです。
努力をした人が全て報われるというものではありません。
しかし努力をした人というのは、
努力をしたという結果は得られます。
そして努力をしない人よりかは良い結果を生みやすくはなります。
しかし結果は努力だけで決まるわけではないので分からないのです。
ですから全ての行動が同じような結果になるわけではないのです。
神様(宇宙の法則)はとても不完全であり不条理であるように見えますが、常に働き続けています。
ずっと自分たちを見守っていてくれているのです。
神様はいつも自分たちの周りにい続けている存在なのです。