この世界にはオーラが見える人と見えない人がいます。
はっきり言ってオーラが見えない人からすると、オーラなんてあるはずがないと思うでしょう。
それは別に悪いことではなくごく自然なことなのです。
原始時代に、「スマートフォンと言って、ずっと遠くの人と会話が出来るものがある」と言われてもそれを信じる人はほとんどいないでしょう。
見たことも感じたこともない人からすれば、信じられないのは当然のことなのです。
ではなぜオーラが見える人と見えない人がいるのでしょうか。
オーラが見えるか見えないかは自分の潜在意識によって決まる
オーラが見える人と見えない人の大きな違いは、
自分の潜在意識(思い込み)がどんなことを感じているのかによって決まります。
もともと目に見えないものは信じない人であればまずオーラが見えることはありません。
もし仮に見えていたとしても、「こんなのはただの幻覚だ」と思って終わりだからです。
逆に自分の潜在意識がオーラは見えるものだと思っていれば自然と見えるようになってくる可能性はあるのです。
しかしどんなに思い込んでも全然見えるようになってこない人は当然います。
というよりもそういう人がほとんどでしょう。
それはどうしてかというと、
いくら自分で意識しても自分には見えるはずがないと心のどこかで思っているからです。
オーラを見ることやスピリチュアルな能力というのは、自転車に乗ることと似ています。
一度でも良いから、
「自分はスピリチュアルな能力があるんだ!」
「私はオーラを見ることが出来るんだ!」
という気付きがあればその後は見えるようになっていくでしょう。
しかし、それまではなかなか感覚が掴めずにそのまま挫折してしまう人が多いのです。
もちろん誰でもオーラが見えるようになるわけではなく、生まれつきスピリチュアルな感覚を全く持っていない人は難しいですし、見えないという思い込みが強ければ見えません。
それに周りの人たちがみんな見えていなければ、自分も見えないものだと思ってしまうのは当然ですから、小さい頃は見えていても大人になって見えたままの人はとても少ないでしょう。
どちらにせよ、見えるも見えないも自分の潜在意識が決めているということなのです。
私はオーラが見えなくなると思っていないから見えているのかも知れない
私は幼い頃からオーラが見えていて、現在もオーラは見えています。
幼い頃から見えるようなったのか見えにくくなったのかは覚えていませんが、現在も見えている感覚はあります。
私は現在も見えなくなるとは思っていませんし、未来も見えなくなるのではないか?という不安を持ったことがほとんどありません。
見えていることが普通であり、別にそれが特別なことだとも思っていません。
それだけ強い潜在意識(思い込み)を持っているわけです。
逆にオーラが見えない人は、同じように強い思い込みを持っているはずです。
「自分にオーラが見えるはずがない」という思い込みを持っているはずです。
それがオーラが見える人と見えない人の大きな違いなのだと私は思います。
もちろん、
私は生まれつきオーラが見えていて、それを常に練習して常に意識して生きてきたという過去があります。
幼少期は歩いている人のオーラを見ながら過ごしていました。
そう言った恵まれた環境があったからこそこういうことを言っているだけで、私が見えなくなる可能性はいくらでもあったはずです。
そんなこと言っても、それは見えているから言えるだけだ。
「見える人からすれば見えない人の気持ちは分からない」
と言われてしまいそうですが、確かにその通りだと思います。
見えるか見えないかというのはそれくらい環境や経験、そして考え方も違っている部分はあると思います。
しかし、私から見るオーラが見える人と見えない人の違いは、自分の潜在意識(思い込み)で決まっていると感じています。
私の持論として、自分の見えているものは自分の心が決めていると思っています。
詳しくはこちらの記事をご覧ください。
【詳しくはこちら】自分の見たいものを見ている。自分の思いが見ているものを決めている
自分が興味のあるものを見るようになっていて、興味のないものは見えないようになっているのです。
それはオーラも同じです。
私は人に興味があったからオーラが見えているのかも知れません。
もしかしたら私はオーラが見えるということ自体が幻覚で見えている可能性だってあります。
でも私は自分の思い込みによる幻覚でオーラが見えていたとしてもそれはそれで良いのです。
オーラが見えているという幻覚によって、誰かの役に立てているのならそれだけで十分なのだと思っています。
私からするとオーラが存在するのかしないのかということはあまり興味がありません。
オーラが存在してもしなくても、自分にとっては見えているものであり存在しているものだからです。
みんなそれぞれ見えている世界が違って当然ですし、みんなが同じでなければいけないということはありません。
みんなそれぞれの世界があって良いのです。
私はそう思います。
結論:オーラは見える人もいれば見えない人もいて当然。どちらが正解というものでもない
私自身はオーラが見えている世界が正解ですし、見えない人からすればオーラが見えないことが正解です。
どちらが正しいとかどちらが間違っているかという議論をすることはそこまで必要なことではないと感じます。
感覚は人それぞれです。
人の感覚なんて分かるはずがありません。
人の痒みや、人の心の痛みなんて見たって分からないのです。
分からないのが普通なのです。
どちらが偉いというものでもありませんし、どちらかが嘘をついているというものでもないでしょう。
自分が本当に感じていて、本当に信じているものが見えていて、感じているだけなのだと思います。
みんな違ってそれで良いのです。
オーラというのは、そういうものなのだと思います。
スピリチュアルというのはそういうものなのだと思います。
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