努力をすることは大切だが、我慢は自分をどんどん壊してしまう原因となる。
一般的に「努力」と「我慢」というものが一緒になってしまっているように感じてしまう。
私が思う努力とは、
『自分が手に入れたいもの、または自分がポジティブになる未来に向かってする行動』を努力だと考えている。
逆に、私が思う我慢とは、
『自分のためにならず明るい未来も見えない、または自分のためにならない行動』を我慢だと考えている。
努力はすればするだけ自分のためになり、未来が良いものへと変わっていくのだから自分にとって意味のある行動となる。
しかし我慢というものは、
他人のために言われて行動することや全く自分のためにならないもののことを示しているものだからこそ、やればやるほど自分の心身が消耗し、最終的には自分が壊れてしまう可能性がある。
心であれば鬱病になってしまったり、身体であれば怪我や疲労により病気になってしまうこともあるだろう。
『自分のためになっている』
『明るい未来が待っている』
そう思えるだけで人は強くいられる。
我慢と違って自分のためになっているという実感があるからこそ、同じ行動をしていたとしても大きなエネルギーが湧いてくるのである。
ある意味、エネルギーがないと感じているのなら我慢をしているということである。
エネルギーが湧いているのだとしたら、たとえ今が辛かったとしてもそれは努力をしているという証拠でもあるということだ。
よく、
「お前には努力が足りたい」という風にいう人がいるがそれは鵜呑みにしなくても良い。
なぜなら、『その努力の先に誰のためになっているのか』を考えてみると明らかになる。
あなたがやる努力が会社のため、または上司のためになる行動なのだとしたら、それは『努力』ではなくあなたにとっては『我慢』になってしまう。
あなたが消耗し全く自分のためにならない行動になってしまう。
もちろん自分自身が会社のために行動したいと思っていたり、
自分が出世をしていきたいと思っているのなら話は変わってくるが、そういう気持ちがないのであれば上司や相手に努力が足りないと言われても気にする必要はない。
『自分は努力が出来ない人間だ』と思い込んでいる人でも、
明確な目標と自分が心から欲しているものがあるのなら誰でも勝手に努力はするものである。
毎日5時に起きれば毎月100万円が支給されると言われれば努力だと思わずに行動することが出来るだろう。
辛い仕事だったとしても毎月1000万円もらえる仕事があるのなら、自分にできる範囲ではあるかも知れないが人に言われなくても努力はするだろう。
それで良いのである。
無意味な努力は努力ではなく、ただの我慢である。
その我慢は自分自身を壊す原因になっていく。
これを読んだ人は、努力と我慢を履き違えないで『正しい努力』、『自分のためになる努力』を行なっていって欲しいと思う。