【スピリチュアルに対しての結論】究極の心理学であり真理を追求した真理学である


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本日から「ヨシタカブログ」から「吉岡貴紀 公式ブログ」に変更することになりました。

心機一転で本名でのブログを始めることにしました。

ヨシタカブログは、かれこれ2年半くらい続けてきました。

ほぼ毎日更新をしていたから記事数も1030記事ほどになります。

本当に思い入れがあるブログでしたしそんなに同じブログを長く続けていくとは思いもしませんでした。

ヨシタカブログを始めた理由が、

「スピリチュアル」という分野をもっとたくさんの人に知ってほしいという気持ちと、正しいスピリチュアルの解釈を広めたかったっていう気持ちがあった。

それから何よりも、『自分の中でスピリチュアルという分野の結論』を出したかったっていう思いが一番強かったから書き続けてきました。

目次

スピリチュアルに対する答えとは

私にとってスピリチュアルという存在は人生そのものでした。

生まれた時からオーラが見えていたり、今で言うところのチャネリング(意識を対象に合わせることで感覚が共有出来る)が自然と身に付いていました。

ありきたりかも知れないけれど幽霊を見たり、人間には見えないような妖怪のような存在を見ることは多々ありました。

他にも明晰夢と言って、夢を夢と自覚しながら夢の中で自由に行動出来る夢を見ることが日常茶飯事で、年間360日ほど夢を見ていてその夢は次の日の予知夢になっているという日常が3年間続きました。

そんな風に今考えてみれば不思議な体験であり、とても精神的な出来事が多かった人生を送っていました。

話が逸れてしまいましたがスピリチュアルに対して私が出した結論は、

スピリチュアル=精神世界

精神世界=自分の心が感じている世界

自分が感じている世界=自分の人生そのもの

ということです。

人間はどうやっても他人になることは出来ません。

だから自分が感じていることは自分の人生にとっては全て現実になるということ。

他人の痛みが分からないように、他人の感じているものはわからないのです。

だけどその本人にとってはとても重要で、

特に痛みというのは他人にはわからない上に、自分にとってはとても苦痛が伴うものです。

目に見えなかったり現実には存在しないけれど、自分の感覚では確かに存在しているもの。

そんなものはたくさんあって、それら全ては存在しているものなのです。

だから結局は、自分のことは自分にしか分からないし他人のことは自分から見た他人でしかない。

自分の人生は自分で完結していて、それ以外の人たちは自分にとっては村人Aなのです。

そしてそれは他の人たちも同じで、みんながみんな主人公であり村人Aです。

みんな共通の現実に生きているが、みんな違う世界に生きているということにもなる。

みんながみんな別々の世界に生きていて、この現実という共通世界の中で関わり合っているのです。

この現象のことをパラレルワールドというのではないかと私は結論付けています。

話が長くなってしまったけれど私にとってのスピリチュアルの結論は、

心が感じているものは自分の人生においては確かに存在していて、その感じているものは現実世界よりも遥かに重要だということです。

だから、幽霊がいるっていう人もいれば幽霊がいないっていう人も当然います。

それはどちらも正解です。

自分の心(精神)の中では存在しないわけですから、自分の人生に幽霊は存在しないということです。

逆に幽霊が見えると言っている人は、

「ただの妄想」や「思い込み」と結論づけるのではなく、その人の精神世界では存在しているとすれば別に悪いことではありません。

『大人になったら霊感がなくなる』というけれど、

それは大人になると知識がついてきて幽霊なんて存在しないと思い込むようになる。

そうやって『幽霊を信じる世界』から『幽霊を信じない世界』へと人生が変わっていくことで見えなくなっていく。

どっちが正しいとかじゃなくて、単純に自分の世界が移り変わっていくだけです。

そして誰が正しいとかどの理論が正解とかではなく、人それぞれの世界があってその世界は全て別々に存在している。

この世界はそんな小さな世界がたくさん集まりあって混在しているということです。

それが私にとってのスピリチュアルの答えです。

だからずっと自分の人生は自分が主人公だということを伝えてきましたし、人生攻略マニュアルにも書きました。

それくらいスピリチュアルを学んで得たものは大きかったと感じています。

オーラとかインナーチャイルドとか守護霊というのは、その自分の世界は全て自分が決めているという真理の中の一つの考え方に過ぎません。

あれこれ言っても結局は自分の心が自分の世界を作り上げていくのです。

だから私はこの真理をスピリチュアル(精神世界)の結論としました。

私にとってスピリチュアルは、

究極の心理学であり、この世の真理を追求した真理学だとも思っています。

人それぞれ考え方があるはずです。

「そんなの全然違うよ」という意見もあるでしょう。

ですが私はそれで良いのです。

その人にとっての正解があって、それは人と違って全然良い。

相手の意見を否定して自分の意見を押し付けようとしてしまっては争いが起こってしまいますが、相手の世界と自分の世界では意見が違って、別の世界で生きているんだという意識が少しでもあれば相手を受け入れて尊重することが出来るはずです。

相手の全てを肯定して受け入れろというものではありません。

確かに間違っていることはあります。

この世界にはある程度、法則やルールというものが存在します。

そのルールに違反してしまっては、上手くいくものもうまくいきません。

ルールや法則がある以上『間違い』というものは存在しますが、

「自分の人生は自分が作っていてその世界は自分の心に大きく依存をする」という部分を前提の上でこの世界は成り立っているということを私は深く痛感していました。

最後に

スピリチュアルは私にとって人生の一部であり、切っても切り離せない分野ではあります。

スピリチュアルと共に育ったと言っても過言ではありません。

そんなスピリチュアルを否定してきましたが、やはりそうではなく自分の中で上手に付き合っていくという選択をすることを決めました。

私の中ではスピリチュアルな世界というのは当たり前に存在する世界ですが、何も信じていない人にとっては不必要であり意味の分からない世界かもしれません。

しかしそれはそれで良いのです。

人それぞれ世界があって、自分の意識と感覚の中で生きているわけですから何も正解なんてありません。

逆に言えば、毎日同じ景色を見ているわけではないのですから考え方なんて違って当たり前なのです。

ですから私はスピリチュアルを中心に生きるかどうかは分かりませんが、スピリチュアルは存在していて良いという結論に至り、これからも頑張っていこうと思いました。

これからも宜しければこのブログを読んでいただけると幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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