辛いことや嫌なことというのは生きていればあります。
それは自分にとっての試練であり、足りないところや苦手なところでもあります。
自分が苦手であったり出来ないことがあると人は悩みます。
結局問題の根源は自分にあるということです。
今日は、「試練は越えるためにある」というテーマで書いていきます。
辛いことや試練は自分が引き起こしている
自分が行動した結果、辛いことや嫌なこと、試練を引き起こしています。
自分で引き起こしていることが悪いことというわけではありません。
どんなに完璧に生きていても問題は起きますし、完璧な人間はいません。
試練は自分が普段行動していることの中で、自分が苦手であるもので悩みます。
自分がコミュニケーションが苦手であれば、人間関係で悩みますし、
仕事が苦手であれば、仕事で悩みます。
逆に、得意でこだわっているものでも悩みます。
職人というものは、自分の作るものにこだわっていますし、常に上を目指しています。
そういった職業だと、もっと良い物を作ろうと思って悩みます。
こだわっていても、苦手だとしても、どちらにしても自分の心が穏やかでいられないと人は悩みます。
全ての物事は表裏一体
全てのものは表裏一体であり、良い部分も悪い部分も持っています。
例えば、
優越感という感情があるから劣等感という感情があり、
好きという感情があるから、嫌いという感情もある。
仮に、優越感という感情が存在しなければ劣等感という感情も存在しません。
ですから、
本当に嫌なことを全てなくすとしたら、
全てを受け入れて、現実に何も左右されない心が必要です。
全てをありのままに見ること、何にも執着しない心が必要です。
それがお釈迦様が言っている『悟り』というものです。
完璧に悟ることが出来れば、辛いことはなくなります。
究極の話、
生きることに執着しなければ、死を恐れることはありません。
それが本当の悟りです。
なので、試練というものは自分が作っているのです。
受け入れれば悩みも試練もなくなる
先ほどお話ししたように、
全てのものは表裏一体であり、良い部分も悪い部分もあるということをお話ししました。
結局悩みや試練というものは、自分の心が作っているのです。
しかし、試練を作ることが悪いことではありません。
その試練を乗り越えていくことによって少しづつでも悟りに近づいていきます。
悟りは修行することが悟りではありません。
私生活をよりよく生きることも悟りへの道なのです。
それには、起きている出来事を解決するためにたくさんのことを試行錯誤することが大切です。
試行錯誤することによって、物事の原因と結果が結びついていることがわかり、その原因を防ぐことができるようになってきます。
そうすることによって、自分の悪いところに気付き、試練から回避することが出来るようになります。
そうやって人は少しづつ成長していくことが出来るのです。
悟りとは、常に考え、気付くことが大切
何も考えないでただ現実を過ごしているだけだと、現実に振り回されるだけで原因を見つけることが出来ません。
たくさんのことを感じ、考え、行動し、試行錯誤することが悟りへの近道です。
現実では、自分の思い通りになりません。
ですが、それもまた人生なのです。
人生は修行するために生まれてきているのです。
悩みや試練は全て修行なのです。
それは自分の心が穏やかではないから悩むのであって、
自分の心が穏やかでいることが出来れば、現実とは関係なく、悩みや苦痛、試練というのは訪れません。
常に平穏な日々を送ることが出来るのです。
それこそが本当の悟りなのです。
あとがき
悟りという言葉を聞くと、難しいイメージがありますが、そういうことではありません。
そもそも生まれてきた時点で、苦行であり、修行なのです。
現実を悩みなく、自然に穏やかな心で生きることこそが悟りであり、
その悟りこそが悩みをなくすために必要なことなのです。
自分の思い通りにならないことを悔やんでも仕方ありません。
それが人生なのです。
悟りを目指さなかったとしても、自分の人生を全うして自分の納得のいく人生を送ることが本当の試練を乗り越えたということになるでしょう。
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