悟りたいと思って欲を抑制してもそれは悟りには近づけません。
悟りというのは、欲がないのではなく、欲がある自分を認めて受け入れることから始まります。
欲をなくすことが悟りではないのです。
自分の欠点を見ないふりをしていても先へは進めない
欲があることを受け入れなかったり、自分の欠点や自分の良くないところを見ないふりをしたり、否定していたりしてもそれでは前に進めません。
自分の欠点や悪いところというのは誰にでもあるのです。
欲だってない人はいません。
食欲や睡眠欲がなければ、まともに生活すら出来なくなってしまいます。
ですから欲があることを否定しても意味はありません。
否定するのではなくて全てを認め、受け入れることが必要です。
自分の欠点を受け入れて、その上で今後どうやって生きていくかが重要なのです。
全てを客観的に見る視野の広さが大切
いやが狭いとどうしても自分の意見ばかりになってしまって、いろんなことを自然と見ることが出来ません。
どんな出来事も自分の考え方としての意見になってしまって、偏ったものの見方をしがちです。
ですから自分以外のものを客観的に見ることはもちろんですが、
自分自身もしっかりと客観的に見ることが大切です。
自分自身も客観的に見る
例えば自分が他人に嫌なことをされてイライラしたとします。
イライラしている自分にイライラするのではなく、
イライラしている自分を『見る』ことが大切です。
今、イライラしているなぁと感じてそれ以上は何も思ったり感じたりせずに、
「イライラした自分がそこにいる」
という風に、自分自身すらも客観的に見ることで、自然と心が穏やかになり、自然なものの見方をすることが出来るのです。
大抵の場合はイライラしている自分に、『なんでこんなことでイライラしなきゃいけないのか!』
とイライラしていることにイライラすることがほとんどです。
イライラしていることにイライラしているのです。
人にイライラされたことに対して、イライラしているのです。
「今、あの人に自分は嫌味を言われたなぁ」
という風に自分の言われたことも客観的に見ることで、イライラすることにイライラすることはなくなります。
ですから自分をしっかり客観的に見ることは心の平穏のためにとても大切なことなのです。
欲をなくすのではなくて欲を認める
先ほど話したように、自分を客観的に見ることができれば、自然と欲のある自分も客観的に見ることが出来ます。
そうやって自分を客観的に見ることが出来ると、自分の欲が悪いことではないことに気がつくはずです。
「自分は女性とお付き合いしたいという気持ちが強すぎて、その欲が抑えられません」
という欲があるとします。
そのように欲があること自体は悪いことではありません。
人間なのですから当たり前のことなのです。
欲のあることは当たり前のことです。その欲を抑えるのではなくて、その欲に振り回されて行動してないけないということなのです。
欲を否定するのではなく、欲を認めた上でどう行動するかを考えるのです。
人間に生まれた時点で欲があって当たり前ですし、不完全であって当たり前なのです。
その不完全さを受け入れずに否定していても、それでは本当の悟りとは言えないでしょう。
あとがき
欲をなくすことにも悟りを目指すことにも囚われてはいけません。
全ての物事に囚われたり、執着していたらどんどん自分が苦しくなるだけです。
自分の心をしっかり理解して、それを受け入れ、そしてその心に振り回されずにコントロールして生きることが悟りへの近道なのです。