すべての物事やものに意味はありません。
意味は自分で作っていくものであって、そのものに価値があるかないか意味があるかないかは自分で決める事です。
自分が価値があると思えばあるしないと思えばない。
意味があると思えば意味があるし、ないと思えばない。
それは全てのものが自分次第で決めることが出来るという事。
すべての物事に意味がないのだから、自分で好きなように意味を持たせることが出来るという事。
全てが自由に自分で決めることが出来るのです。
意味を他人や自分以外に求めるのではなくて、全て自分で決められるのです。
自由に決められるからこれだけいろんなことに悩むのかもしれないけれど、それでも本当に人生というもの、この世界というものは全て自分で決めていけるのです。
全てが自由なのです。
それなら自分の好きなように進んでいけば良いし、自分が良いと思う方向へ進んでいけば良い。
もちろん全てが自由で思い通りにいくわけではない。
自分自身に出来ることもあれば出来ないこともある。
だから、完全に全てが自由というわけではない。
ただ、この世の全てのものに理由や意味、そして価値は存在しない。
だから自分で価値を作ることが出来るし、そのものに価値を与えることだって出来る。
意味を与えることだって出来る。
自分の好きなように決めることが出来るのです。
肉体には限界があるし、自分自身に出来ないことなんてたくさんある。
ほとんどのことが思い通りにいかないし、それは当たり前のことです。
そんな不自由な中にも自由はたくさんある。
完全な自由というわけではないけれど、人はその中に自由を見いだすことが出来る。
最悪な人生を生きたければそう生きればいい。
幸せな人生を送りたければそう生きればいい。
どんな選択をしても、もちろん辛いことはあるし、楽しいこともある。
だったら好きな道を選んでいけばいい。
その道に自分の幸せを見出していけばいい。
その道に意味や価値を作り出せばいい。
そして、自分の色をつけていけばいい。
そうやって、自分の世界を自分色に染めていけばいい。
全ては自分で意味や価値をつけていくことが出来るのだから。
この世は自分で自分の好きなように色をつけていける真っ白のキャンパスのようなものなのだから。
あとがき
全ての物事そのものに意味があるわけではなくてそこに意味を作っているのは自分自身なのです。
目の前にコップがあったとしてそのコップはただの物であってそこに水を入れて飲むことという意味を作ったのは自分です。
目の前に机があってその机に物を置いたりノートやパソコンをしたりするという意味をつけたのは自分です。
机はそのものに意味があるわけではありません。
机は机として使わなければただの物です。
人間が何かに意味を作っているだけであってそのものに意味があるわけではないのです。
それは全ての物事に言えることです。
自分の人生にも意味があるわけではなく生きている意味もありません。
全ては自分で決めていくものなのです。