悟りへの修行は永遠に続きます。
死ぬまで悟りへの道は終わらないのです。
悟りを得たからそれで習得しているのでもう安心というものではないのです。
悟りというのはずっと続けていくことで悟りを得ることができます。
一度悟ったからといって、
欲に溺れていたらすぐに悟りから遠ざかってしまうのです。
自分が悟ったと思った時点で悟ってはいない
自分は悟った。
もうこれで最高の人生が送れる。
そう思ってしまった時点でそれはもう悟りではなくなります。
悟りというのは一度悟ったら終わりというものではないのです。
自分が悟ったと思った時点で自分をすごい人だと思ってしまうのでそれではまた欲が生まれて苦痛が生まれます。
自分がすごいと思ってしまうとすごくない自分になったときに嫌な気持ちになります。
バカにされたし失敗したりするとイライラしたりします。
それでは悟っているということにはならないのです。
ありのままの自分を知り理解することが悟りとなるのです。
自分がすごいと思うのがいけないことではありません。
自分がすごいと思う人だということを知って理解することで悟りに近づくのです。
失敗してしまう自分を知り、理解して受け入れることが悟りなのです。
悟ったからといってそこで終わりではないのです。
永遠に死ぬまで悟りというのは続くのです。
なぜ悟りの修行は永遠に続くのか
どうして悟りが永遠に続くのかというと、
それは環境も自分も常に変化し続けるからです。
変化しているのにも関わらずその変化に気付かずにずっと自分は自分のままだと思っていれば、時代においていかれて自分の変化に気付かずに自分を知ることが出来ずに理解していないことになってしまいます。
常に変化しているのです。
化学はどんどん変化し続けています。
自分自身はどんどん歳をとっていくのです。
体も老いてきて出来ないことが増えていくでしょう。
そんな自分に気付く事が大切なのです。
その変化に気付かずにずっと若い自分のままだと思ってしまうと、だんだん今まで出来ていた事が出来なくなっている自分に苛立ちや苦痛を感じてしまうでしょう。
ですからその変化する自分を知り、理解して受け入れる事が必要なのです。
ですから常に人は成長し続けていかなければいけないのです。
悟りというのは死ぬまで受け入れ続ける事で悟りを得る事ができるのです。
人は死ぬまで変化し続けます。
ですから悟りの修行は死ぬまで終わらないのです。
理解すれば納得できて受け入れられる
人は何事も知らないと理解出来ませんし納得することは出来ません。
何も知らないのにとにかく分かってくれと言われてもそれでは理由がわからないので納得することも受け入れることもできません。
ですから受け入れるためには理由がわからなければ人は納得することが出来ないのです。
自分を受け入れることで悟りを開くことが出来ます。
ということはそれだけ自分を知ることが大切なのです。
悟りは自分を知ることです。
そこから悟りを開く第一歩なのです。
自分を知ることで悟りは開ける
悟りは自分を知ることで始まります。
というより、自分を知ることが出来れば悟りを開けたことと同じことです。
自分を知る事が出来れば、悩みがなくなります。
悩みがなくなるというより悩みの原因を知ることができるので自分が悩んでいることに納得できるのです。
納得出来れば受け入れることが出来ます。
ですから自分を知ることさえ出来れば受け入れることが出来るのです。
悟りは自分を知ることから始まり知ることがゴールみたいなものなのです。
あとがき
悟りは難しいことのように思えますがそんな難しいことではないのです。
己を知る事さえ出来れば悟りを開くことが出来るのです。
全ての物事を知ることが悟りではありません。
人間は外に目を向けてしまいますが本当に大切なことは自分の中にあるのです。
どんなに自分の外側のことを知っても悟りを開くことは出来ません。
自分自身を知ること、
自分の心の中にあるものを知ることが悟りというものなのです。
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