悟りという言葉を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
実際は一般的にはあまり馴染みのないものですし、修行僧やお坊さんが俗世から離れて苦しい修行を乗り越えて初めて悟りの境地にたどり着くものだという認識が一般的でしょう。
しかし悟りはそんなお坊さんだけが目指すようなものではありません。
みんなが目指しても良いものです。
しかし悟りを目指すなんてそんな簡単なことではないし、自分の欲をなくしていかなければいけないなんて辛くて出来ないと思ってしまうかもしれませんが、悟りは欲をなくしていかなければいけないものではありません。
そしてそんなに苦しい修行をしなくても悟りを開くことは出来るのです。
しかも悟りに近づく事によって悩みや不安がなくなっていくとともに、自分の望む人生に向かっていくことも出来ます。
夢を叶えるための近道になることだってあるのです。
悟りを開くことは、
それだけ自分にとって良いことがたくさんあるのです。
そんな悟りについてよく知り、そして悟りを目指していくことでより良い人生を送ることが出来るのです。
悟りとはどんなものなのか知ることから始めよう
悟りというのは一体どんなものなのでしょうか。
一般的には、
- 怒らない
- イライラしない
- 禁欲をしている
- 質素な生活をしている
- なんでも知っている
- 日々修行をしている
- 瞑想をしている
なんてイメージがあるでしょう。
確かに合っているものもあれば間違っているものもあるでしょう。
実際に悟りを開くためには、
禁欲をしたり、
瞑想をしたり、
怒ってはいけない、
日々修行をしているでしょう。
しかし悟りを開いた人がずっと苦しいことをしているわけではありません。
悟りを開く=苦しいことをする
というものではないのです。
悟りとはどういうものなのかというと、
悟りを開くことで辛いことや苦しいこと、そして自分の人生に満足するために悟りを目指しているのです。
そんな辛いことをやるために悟りを開くのではないのです。
悟りの目的と悟りを開く意味
悟りを目指す目的は、
悩みも不安もなく、心おだやかに生きていくために悟りを開くのです。
悩みがなかったり欲がなくなれば心に平穏が訪れるのでとても満足した人生を送ることが出来ます。
そして正しく生きて、
正しい行いをすることが大切です。
正しい行いをすることで正しい結果を生むことが出来ます。
その正しい結果は心の平穏につながり、満足した人生を送ることが出来るのです。
それが悟りを開くための目的なのです。
修行をして超人になったり、仙人になるために悟りを開くわけではないのです。
そういう人も中にはいるので誤解されてしまいますが、悟りはそういったすごい人になるためのものではありません。
人生をより良く生きるためには悟りの境地に到達するまではいかなくても、悟りの考えを取り入れることでとても豊かな生活を送ることが出来るようになるのです。
ですから、お坊さんや修行僧だけでなく一般の人にも悟りの考えはとても良いものですし役に立つものなのです。
悟りは自分の心を豊かにして自由な人生を手にすることが出来るのです。
心の平穏は何よりも充実した人生には必要不可欠なものなのです。
悟りを開くことのメリット
悟りを開くことを目指すのは良いけれど、
悟りを目指していくことでどんなメリットがあるのかが気になるかもしれません。
悟りを開くメリットは、
- 苦痛や辛いことが減る
- トラブルや失敗や少なくなる
- 楽に生きることが出来る
- 自分のやりたいことが見つかる
- 自分の望む人生に向かっていける
- イライラしなくなる
- 周りに振り回されない
- 自分らしく生きれる
- 幸せになれる
- 心が穏やかになる
というようなメリットがあります。
悟りのよって得られるメリットはたくさんあります。
メリットの中でも、
苦痛がない人生を送ることで幸せに生きることが出来るというのはとても大きなメリットであり悟りの目的でもあります。
苦痛がないということは、
自分の人生に不満がないということです。
人は不満があるとそれを苦痛だと感じます。
不安や悩みは今でもないから別に悟りを開く必要はないと思ってしまうかも知れませんが、自分の望んでいる自分になれていないことも立派な苦痛や悩みになります。
苦痛のない平穏な心、幸せな人生を手に入れるというのは、
自分の求めているものも含めて自分の理想が叶っているということになるのです。
悟りを開くことで悩みのない平穏な生活を手に入れることが出来て幸せな人生を送ることが出来るのです。
なぜ悟りを開くと幸せになることが出来るのか
では悟りを開くとどうして幸せになれるのかというと、
悟りを開くことで「足るを知る」ことが出来るからです。
悟りを開くことで、
今の自分でも十分に足りているということに気付きます。
あれもこれも求めているけれど、
そんなに欲を求めてもその欲が尽きることはなく、欲を求めれば求めるほどその欲に振り回されることになってしまいます。
どうしても人は欲を求めると、
「もっと欲しい」
「もっと良くなりたい」
というようにもっともっと求めます。
その欲は永遠に尽きることはありません。
その欲のスパイラルから抜け出すためには、
「足るを知る」ことが重要なのです。
足るを知るというのは、
簡単に言えば今の自分はいろいろなものを持っているのだからその自分の持っているものに目を向けてそれ以上求める必要はないということを知ることです。
よく一般的に言われている
「満足」
という言葉に似ていますが、満足とは似て非なるものです。
満足とは、
自分の欲しいものを手に入れているからその現実に心が満たされている状態です。
しかしその状態は悪い状態ではないのですが、
もしその満足している現状から変わってしまったらその満足は消えてしまいます。
今の収入に満足しているとするならその収入から減ってしまったらどうなるのでしょうか。
それは「不満」になります。
不満というのは欲でありそれも悩みの原因になってしまうのです。
足るを知るの言い方を変えれば、
今の自分を受け入れるということにもなるのです。
今の自分を受け入れることが出来れば悩みは消えていきます。
悩みが消えれば幸せになることが出来るのです。
悟りを開くと悩みは消えていきます。
ですから結果的に悟りを開けば幸せになれるということになるのです。
足るを知ると満足の違い
足るを知ると満足することの大きな違いは、
欲しいものを持っているから満足しているか、それとも持っていなくても満足しているかの違いです。
満足するということは、
何かを持っていないと満足出来ない。
条件付きの満足になってしまいます。
条件付きの満足では悟りを開くことは出来ませんしいつまでも苦痛から逃れることは出来ません。
どうしてかというと、
例えば年収1000万円あるから満足という条件付きの満足だとします。
もちろん1000万円あればはじめは満足しますが、そのうちもっと欲しいという欲が出てきます。
いつの間にか1000万円では満足出来なくなり今の生活では苦痛を感じ始めます。
そのように人間の欲はいつまで経っても尽きることがないのです。
ですから欲は欲を呼びどんどん欲と苦痛が増していってしまうのです。
もし1000万円で満足していたとしても、
今度はその1000万円以下の生活では満足出来なくなります。
ですから1000万円をキープしなければいけなくなってしまうのです。
それが執着というものです。
1000万円に執着することで悩みが増えます。
- どうすればこのままの生活を保つことが出来るだろうか。
- もっと仕事をしなくてはいけない。
という風にキープするだけでも苦痛を伴うのです。
欲しいものが手に入らなくても苦痛があります。
手に入らなければ手に入れたいという欲がありそして手に入らないので辛さがあります。
そして手に入れたとしても、
それを維持する為に執着するので苦痛が伴います。
それが満足をすることです。
足るを知るというのは、
何もなくても今の自分は全てが足りていると思っているので何も欲しいと思わず、何もなくても幸せを感じることが出来るので執着することがありません。
どんな状況でも幸せを感じることが出来るのです。
条件なくただ満足できることが足るを知るということになるのです。
悟りを開くことの目的
悟りを開くことの目的というのは、
すごい人になるわけでもお坊さんになるためでもありません。
幸せな人生を生きるために悟りを開くのです。
人は悩みがなく不安もない人生を幸せと感じることが出来ます。
そしてブッダが悟りを開こうと思った理由も、
- 死ぬ苦しみ
- 病気を患う苦しみ
- 老いていく苦しみ
- 生まれてくる苦しみ
から解放されようと思い悟りを開くことを目指しました。
悟りはお坊さんが目指すものではなく、
苦しみのない人生を送るために悟りを目指すのです。
そして苦しみのない人生は幸せと穏やかな気持ちになるでしょう。
その穏やかな心こそ幸せなのです。
悟りとは幸せを目指すための生き方と考え方なのです。
悟りを開く方法
悟りを開くためには、
自分のことをよく知る必要があるのです。
それはどうしてかというと、
自分の人生は自分が主人公であり自分の心が決めているのです。
現実での出来事というのは、
単なる出来事であってそこに理由や意味、そしてどのように感じたのかは自分の心が決めているのです。
例えば、
目の前に自分が嫌いな人がいました。
自分はその人を見て、
「うわーまたあいつと会っちゃったよー。最悪。」
という気持ちになりました。
今日は1日ついてないなぁ〜
という気分になってしまい1日がずっとブルーな気持ちになった。
しかし実際にはただ目の前に知り合いがいただけです。
そこに、
- 嫌いな人
- 嫌いな人と会って最悪だと思う気持ち
- ついていない日
というような意味と理由を付け加えたのは自分の心なのです。
ただ知り合いに会っただけなのですから別に悪いことではありません。
その人を嫌っている心は現実には存在しません。
自分の心が作り出したものなのです。
ですから人は現実よりも心で何を感じたかという方が重要なのです。
ということは自分の心を知り、
自分の心をコントロール出来るようになれば悟りを開くことが出来るのです。
己を深く知ることで悟りは開ける
悟りを開くためには己を深く知る必要があります。
というよりも己を深く知ることさえ出来れば悟りを開くことが出来るのです。
どうしても人は、
答えを自分の心ではなく外側に求めてしまいがちです。
悟りでも同じ同じように、
もっと知識をつければ悟りを開くことが出来る。
もっと苦しい修行をすれば悟りを開ける。
と思ってしまいますがいくら知識をつけたとしても、どんなに苦しい修行をしても悟りに到達することは出来ません。
悟りを開くためには、
自分の心を深く知ることで悟りに到達することが出来るのです。
人は生まれてから死ぬまで自分でい続けます。
どんなに他の誰かになりたいと願ってもなることは出来ないのです。
自分自身と自分の心と一生付き合っていくのです。
ということは自分の事を深く知ることができれば自分がどうして悩みを感じているのか。
どうして今自分は苦しんでいるのかに気付き、自分が何をしていけば良いのかを知ることが出来ればそれはもう悟りと同じことです。
自分自身事を全て知る事が出来れば何も悩むことはないのです。
自分の事を知れば出来ることと出来ないことがあることにも気付きます。
そうすれば、
絶対に無理なことをやろうとは思いませんし自分自身を自然と受け入れることが出来ます。
その自分自身を深く知り、受け入れることこそ悟りなのです。
どんなに知識をつけたところで自分自身の心について何も知らなければいつまで経っても苦痛から逃れることはありません。
外の世界のことを理解しても自分の事を理解しなければ悟りには到達出来ないのです。
己の心を深く知ることこそ悟りに近づく方法なのです。
悟りを開く感覚
悟りを開いた時の感覚というのはイメージとはちょっと違うものでした。
簡単に言うと、「気付き」や「閃き」の延長線上にあるようなものです。
それに「救われた」と言う感覚がプラスされたような感覚でした。
だから悟りというのはそんなにすごいものでもなく、魔法のようなものでもないのです。
あまり身構えずに、自分が望む人生へと向かっていくことが出来れば、自分の生きる意味や自分自身がどうすれば幸せな人生を歩めるのかを追求していけば、悟りへと近づいていくでしょう。
とても大きな衝撃はないにしろ、
「自分が自分であって良い」
「自分に生まれて良かった」というような、
「自分を認めて受け入れた感覚」というのはとても大きなものでした。
悟りは自分を受け入れることと言われているのは、悟りを開いたときに自分を受け入れられる感覚があるから言われているのだと私は感じました。
瞑想は悟りへの近道
瞑想をすることは悟りに近づくための近道になります。
それはどうしてかというと、
悟りとは自分の心を深く知ることで悟りを開くことが出来るからです。
瞑想の目的は自分の心との対話です。
瞑想は、
目を瞑り、意識を自分の中に集中させて、外部の情報を完全に遮断することで内なる自分と対話して本当の自分(潜在意識)を知ることが出来るのです。
瞑想は自分の心を深く知るためにはとても良い方法なのです。
ですから瞑想は悟りを開くための近道になるのです。
悟りを目指す心構え
悟りにあたって心構えがあります。
それは悟りばかりに執着しないことです。
悟りを開こうと思うとどうしても悟りにばかり気持ちが向かってしまい、どうしても執着が生まれます。
悟りとは何も執着しないことです。
それは悟りも例外ではありません。
悟りに執着しても悟りを開くことは出来ないのです。
悟りとはもっと自然なものです。
そして悟りは悟った時点で終わりというものではないのです。
悟りは悟ったとしてもその悟りを続けていくことこそ悟りなのです。
悟りを開いたとしても、
その結果大金持ちになることはありません。
悟りを開いて欲が叶うことはないのです。
悟りを開いたとしても悟りを開いた自分がいるだけです。
現実は何も変わらないのです。
しかし悟った後にどんな行動をしていくかによって現実は変わっていきます。
悟りを開く目的は、悩みがなく心の平穏を目指すことが目的です。
悟りは、
とてもすごいものではありませんし超人になるものでもありません。
そしてとても遠いものでもありません。
悟りはもっと自分の近くにあり目の前にあるものなのです。
悟りは求めすぎては遠ざかっていきます。
しかし求めなければ自然と自分のところへとやってくるでしょう。
あとがき
悟りとは誰にでも到達することが出来ますしみんなが求めていっても良いものです。
一部のお坊さんや修行僧だけが目指すものではないのです。
自分の望んだ人生を送るためにも、
目指す目標を目指していくためにも悟りの考え方はとても大切なことです。
別に悟りを追求していくことが全てではありません。
自分の人生をよりよく生きるために悟りの考え方を取り入れるだけだって良いのです。
人生は全て自分の好きなように生きて良いのです。
悟りを目指したからといって悟りに到達するまで辛いことをしなければいけないというものでないのです。
興味がある方一度悟りについて学ぶことも良いかと思います。
今までにない価値観を知ることが出来ますし、自分の可能性を広げる事もできるでしょう。
そして自分の心の声に気付き、新しい自分の人生の生き方を見つけられるかもしれないのです。
悟りはただ禁欲して修行するだけのものではないのです。
悟りについて知り、自分の望む人生を目指して日々精進していきましょう。