哲学というのは生きていくだけで考えれば全く必要のない考え方ではあります。
哲学なんて一つも勉強しなくても生きていけるからです。
そんな難しく考えなくても普通に仕事をしてご飯を食べていれば生きていけるからです。
しかし時代が進むごとに哲学というものは必要になってくるでしょう。
それはどうしてかというと、
人はどんどん賢くなってきているからです。
100年前に比べたら時代が進んでどんどんと新しいものが生み出されてきています。
それだけみんな頭が良くなってきているということです。
たくさんの情報に触れているのでどんどん賢くなってきているのです。
ではどうして賢くなると哲学が必要になってくるかというとそれは、
生きる意味や目的がないと行動したりすることが出来なくなるからです。
頭が良くなって色々考えるようになると難しく考えるようになります。
「どうして生まれてきたのだろうか」
「何のために生きているのだろうか」
「私のすべきことは何なのだろうか」
そんな風に考え始めます。
昔の人は生きるだけで大変だったのでそんなことを考える暇がありませんでした。
しかし今は知恵もついた上に今はとても安全です。
安全ということは生きるだけなら生きていけるという状態になっているのでぼーっとする時間も生まれます。
そうなってくるとそのぼーっとする時間を何に使うのかというと暇つぶしという概念が生まれます。
危険な状況下で暇つぶしなんてすることは出来ないでしょう。
今はスマホゲームやyoutubeのようなものでみんな暇つぶしをしているのです。
みんな忙しくて目が回ってしまうと思っている人もいますが、そんな人でも何かしらの暇つぶしや娯楽を楽しんでいるでしょう。
それだけ昔に比べたら余裕があるということなのです。
そうやって暇つぶしを続けていると今度は本当に暇になってきます。
そしてみんな賢くなってきているので、こんなことをやっていても意味がないなと考えるようになってくるのです。
その時に必要になってくるのが哲学です。
人間ならみんな持っているのが知的欲求、知的好奇心です。
いわゆる「知りたい欲」です。
知識欲です。
その知りたい欲というのはみんな生まれた瞬間から持っているのです。
赤ちゃんだっていろんな事が知りたいと思うからあれこれ触ったり口の中に入れたりするのです。
そうやっていろんな事が知りたいのです。
哲学というのは大人にとっての一番の知りたい欲を満たしてくれるものなのです。
大人になると新しいことを知るというのは難しくなってきます。
30才くらいになれば、普通に生活しているだけでは新しい事が知れるような機会って少なくなってくるでしょう。
知的欲求が満たされないと暇に感じてしまうのです。
しかし哲学というのはどうして生きているのだろうかという問いに答えを出すものでもあり、この世の仕組みや真理を追求する学問です。
その真理を追求することこそ人間の知的欲求を満たしてくれるのです。
人間はどんどん知恵がついて、安全な状況を作り出し、そして暇な時間が作られていく。
そういう時代だからこそ哲学というものが必要になってくるのではないでしょうか。