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正義だから何をやってもいいわけじゃない。正義を武器にして攻撃していては悪人と変わらない

正義だからといって何をやってもいいわけではありません。

自分が正義だから何をやってもいいとなったら、それは悪い人と同じことになってしまいます。

今日は、「正義だから何をやってもいいわけじゃない。」というテーマでお話しします。

目次

悪いことをしたからといってどんな批判をしても良いわけではない

悪いことをしてる人には、みんなで総攻撃をしたり、ネットでもその人の住所や本名を晒したりする人がいますが、どんなに悪いことをしたとしても、その人にも人権があります。

そんなことをしていては悪い人と同じことです。

どんなに悪い人でも反省の余地はあります。

ですから、悪いことをしている人だからといって何をしても良いということではないのです。

正義も振りかざしてしまえば悪同然

正義や正論も振りかざして相手を傷つけていたら、それは正義でもなんでもありません。

それはただの言葉の暴力です。

悪いことをして反省している人は、反撃してくることはありません。

そんな無防備の人をこちらは正論と正義を盾にして攻撃してしまっていたら、それは無防備の人を攻撃していることなので、それではその行動自体が悪になってしまします。

ですから、正義も正論も振りかざしてしまえばそれは悪になりかねないのです。

悪人にも反省の余地はある

悪いことをしている人であってもその人がずっと悪人であるわけではありません。

反省して時が経てば立派な人間になることだってありますし、反省していればすでに良い人間になろうとしているということなのです。

やったことは仕方ありません。

やったことを反省していて、行動を改めているのであれば許す心も必要なのです。

許す心が人を成長させる

許せる心が自分を成長させてくれます。

正義を行使していたら、それは悪人と何ら変わりはない。

悪いことをした人に対してはどんなに批判をしてもいいと勘違いしている人が多いです。

悪いことをした人でも同じ人間。

自分だっていつその立場になるかわかりません。

助け合い、許す心を持っていきていくことが大切なのです。

あとがき

どうしても悪いことをした人には人権がなくなってしまいみんなで攻撃するというような風潮がありますが、それではいつまでたっても争いがなくなることはありません。

悪いことをした人にだって人権はありますし改善の余地があるのです。

もしかしたら自分だって同じように加害者になることだってあるのです。

悪いことをしてももしその人が反省しているのなら許す心を持つことも大切なのです。

確かに許してしまった時点で自分が損をするような気持ちになるでしょう。

しかしそれでも許さないでずっと恨んでいては自分も疲れてしまいますし、その人を攻撃したところで自分にはなんの特にもなりません。

もちろん許すというのはとても勇気のいることではあるでしょうが、許しの心を持つことで自分自身も成長することができます。

悪いことをしたからといって攻撃しても良いわけではありません。

たとえ正義だったとしても正義を武器にして攻撃してはいけないのです。

それでは悪人とやっていることは同じです。

許しの心を持つことが大切ですしその心が自分自身を救うことにもなるのです。

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