正義なんてものは曖昧なものであり、人が評価した結果に過ぎません。
誰もが自分と同じ意見が正義だと思っているものです。
日本は日本が正義だと思っているし、中国は中国のやっていることは正義だと思っているでしょう。
人の争いや喧嘩だって自分は間違っていないと思っているから喧嘩になるのです。
しかし自分が正義で間違っていないのだから、それを突き通してもいい。ということになってしまってはそれはもう正義ではありません。
そんな考えであれば争いがなくなることはないでしょう。
よくある最近の傾向は、悪人や犯罪者、悪いことをしている人には何をやってもいい。という風潮にある。
「不倫をした人間には罵声を浴びせても構わない」
「犯罪を犯した人に対しては言いたいことを言いたい放題言ってもいい」
という考えを持った人が多いように感じます。
ですがそうではないでしょう。
悪いことをした人は確かに悪いです。
しかし悪いことをした人にだって人権があり、その人はその人なりの考えがあってやってしまったことかもしれないし、反省していて罪を償っているのなら「なんでもしていい」にはなってはいけないのです。
「自分は間違ったことをしていないのだから、相手を傷つけても構わない」
「自分は正義なのだから、悪にはとことん攻撃しなくてはいけない」
そんな考えでは、いつまでたっても争いは無くなりません。
しかも、そんなことを続けていたらどっちが正義なのかわからなくなってしまいます。
「自分は正義」と思えば思うほど、正義ではなくなってしまいます。
自分が間違っていないと思っていても、相手の意見をしっかり聞き、話し合うことがとても大切なことだと思います。
正義だからと言ってそれを貫いてしまっては、それは悪と何も変わらないのです。
あとがき
悪いことをした人に対しては何をしても構わない。
悪いことをしたその人が悪いという考えになっている人がとても多いです。
しかし悪いことをしたからどんな罵声を浴びせても良いという考えではいつまで経っても争いはなくなりません。
それでは正義を武器にしたただの暴力です。
無抵抗の相手に武器を持って攻撃しているのと何ら変わりません。
それでは正しい行いも正しくなくなってしまうのです。
みんなそれぞれ考えがあってみんなそれぞれの正義を持っているのです。
ですから人を否定することが正しいことではありません。
相手を受け入れる心をたくさんの人が持つことで争いというのはなくなっていくのです。
ただ正義を振りかざすだけではいつまで経っても争いがなくなることはないでしょう。
受け入れる心が平和をもたらすのです。