私たちは人間という生き物に生まれました。
人間はたくさんのことを考えることが出来て、全ての生物の中で一番物事を考えることが出来る生き物です。
地球の中では一番上位の生物として生きているのです。
だからこそ、人間は神聖なものだという意識を持っているでしょう。
人間は特別な存在だと思っているでしょう。
それはみんな共通して持っているでしょう。
そして、人間は知恵を持っているからこそもっと上を目指そうとしています。
人間の領域ではなく、神様の領域へと進んでいこうと思っている人もいるのではないでしょうか。
悟りを目指すことも人間の領域を超えて、神様に近づく行為だとも言えるでしょう。
欲を捨て、神聖な人間になることを求めている人もいます。
確かにそれはすごいことです。
人間の領域を越えるというのは素晴らしいことだと思います。
しかし私は思うのです。
どんなに人間の領域を越えようと思っても、私たちは人間だということです。
人間の領域、神様の領域。
それ自体が概念です。
そんな境界線なんてありませんし、そもそも神様という存在自体が人間が作り出したものです。
他の動物になったことはありませんし、気持ちが読めるわけではありませんが、他の動物に神様は存在しないでしょう。
神様というのは人間の理性的な部分、生まれ持った知識の中にある道徳的な考え方が作った存在です。
神様という存在自体が人間の理想の形だと言っても良いでしょう。
人間にとって完璧だと思える存在こそ神様の正体です。
- 人間は死ぬが神様は死なない。
- 人間は欲があり迷いがあるが、神様には迷いも欲もない
- 人間は不完全な存在だが神様は完全なる存在
- 人間は間違うが神様は間違いがない
全てが人間の悪いと思える部分の正反対の存在です。
神様は人間の理想が作り出した存在とも言えるでしょう。
人間の理想は神様になることです。
しかし私はそうは思いません。
せっかく人間に生まれたのだから人間として人生を全うすることこそ一番の幸福であることだと思います。
客観的に、
犬が猫のように振る舞い、どうして猫になれないのだろうかと悩んでいたらどう思いますか。
「あなたは犬なのだから犬として生きるべきだ」と思うはずです。
その犬が悩んでいれば尚更です。
自分という存在以外の存在になろうと思えば苦痛が生まれます。
そして、思うような結果を手に入れることがとても困難なのです。
自分の生まれてきた本来の意味や理由とは違うことをすることになってしまいます。
もちろん本当にやりたいことであったり、自分自身が苦痛や悩みがなければそれも一つの人生でしょう。
猫になりきることことこそ私の人生なのだと思えるのならそれは間違いではありません。
ですが、自分自身を否定して別の何かになろうと思うことは自分の人生を生きることではなくなってしまうのです。
人間であれば人間らしく生きるべきなのです。
確かにこの言葉は誤解を生んでしまうでしょう。
「じゃあ自分以外の自分にはなってはいけないのか」
そういう意見が生まれるでしょう。
しかしそうではありません。
自分自身を受け入れていれば良いのです。
「自分は人間である」
「そして自分は自分という存在である」
そのことを深く理解した上で、自分に出来る最善の努力をすることは間違いではありません。
私が言いたいのは、
自己を完全に否定することが間違っているということなのです。
自分が人間であることを忘れて神様にならなければいけない。
自分は人間ではなく神様なのだと思うことが間違いだということです。
自分を受け入れられていなければ確実に苦痛が生まれます。
苦痛をずっと背負ったまま生きることになります。
そんな苦痛を背負うために生まれてきたのでしょうか。
私はそうは思いません。
人は幸せになるべきなのです。
色々な制限や制約はあるかもしれませんが、人間は自由な存在です。
私たちのような日本で生まれた人間は特に自由な存在です。
せっかく自由な人生を与えられて生まれてきたのだから、自分が良いと思えるような人生に向かっていくべきでしょう。
わざわざ不幸な人生を選ぶ必要はないでしょう。
自分を受け入れ、その上で自分が幸せだと思う人生を自分で作り上げていく。
それこそ人間らしい最高の生き方なのです。