人を恨んだり憎しみを持ったりすることもあるかもしれません。
自分に不利益なことをされたり、嫌がらせをされたりしたらそんな気持ちを持つこともあるかもしれません。
ですが人を恨んでも自分にとって何も良いことはありません。
今日は「人を恨んでも何も意味はない」というテーマでお話しします。
人を呪わば穴二つ
どんなに嫌なことをされたとしても自分もその人にお返しをしたり恨んだりしていたら、それはその人を同じことをしていることになります。
自分が嫌がらせをされたから相手にやっていいという理由にはなりません。
そんなことをしていたら相手と自分は同じことをする人になってしまい、同類だということです。
その人のことを嫌いだからこそ同じことをしてはいけません。
それは自分のためになりませんし、その人を恨んだとしても自分が幸せになっていくわけではありません。
むしろ恨めば恨むほど不幸になっていきます。
自分が嫌いな相手を恨んで自分が不幸になるなんてとても勿体無いことです。
もちろん納得いかないのかもしれませんが自分のためにも恨んだりするのはやめましょう。
自分だけは平然な態度で
どんなに自分が不利な立場にされたとしても、それに腹を立てていては思う壺です。
周りから罵声を浴びせられても嫌がらせをされたとしても、自分が悪いことをしていないのだとしたら、自分は平然な態度で自然に自分らしく自分の道を歩けばいいのです。
周りがなんと言おうと自分は普通にしていればいいのです。
周りの人はちゃんと見ています。
その普通の態度を見れば自然と何が正しいのかをわかってくれます。
どんなに自分が嫌なことをされても仕返ししてしまえば、それ自体も周りは見ています。
自分は自分らしく普通にしていればいいのです。
許しの心が平穏をもたらす
相手を恨んでいたいという気持ちがあったとしても、その気持ちがある限り自分自身が幸せで平穏な日々がやってくることはありません。
どんなことをされたとしても、それを許す心を持っていれば、必ず静かな心と平穏な日々が待っています。
許す心を持っていれば、争いが自然となくなっていきます。
争いがなくなれば、心が穏やかになります。
穏やかな心があれば、自然と幸せな気持ちになることが出来ます。
許す心が自分の幸せをもたらしてくれるのです。
最後に
人を恨んだり憎しみを持つことはあるかもしれませんが、それをずっと繰り返していては争いの絶えない人生になってしまいます。
相手を恨むより、
自分の幸せのためにも相手を許すことが必要なのです。
恨んでしまったら、その相手と同じ世界にいることと同じなのです。
そんな恨みたい人と同じ世界にいても意味はありません。
許す心を持って、生きることによってその人とは違う世界に行けて、平穏な日々を過ごすことができるのです。