人の不幸は蜜の味。
そんな風な言葉が出来てしまうように人の不幸話や人が苦しんでいる姿というのは、自分の心を安心させてくれたり自分を楽にさせてくれます。
ですがそれは喜ばしい行為ではありません。
今日は、「人の不幸は蜜の味」というテーマで書いていきます。
なぜ人の不幸を見ると嬉しくなってしまうのか
人の不幸を見たり聞いたりしても、自分の人生には全く関係ないことです。
ですがそれでも人の不幸を見たり聞いたりすると喜んでしまいます。
それはなぜかというと自己承認欲から来る感情なのです。
人はすぐに自分を成長したりすぐに結果を出したりすることは出来ません。
人は、
「誰かに認めてもらいたい」
「すごい人だと思われたい」
「人気者になりたい」
そんな欲は常に持っているのです。
そんな欲があったとしても、それを叶えるには努力をしたり、誰よりも秀でているものがあったり、才能がないとなかなかそういった自己承認欲を叶えることは出来ません。
ですからその欲をすぐに叶える方法というのが人の不幸を願うことなのです。
人の不幸を感じると、
「自分の方が優れている」
「この人よりも自分の方がまだマシ」
「私って意外と出来ている」
というように人を下げることによって自分の方が上に立てるのです。
人の上に立ったような感情にすぐになることが出来るので人不幸というのは、自分の欲をすぐに叶えてくれるので、蜜の味と感じるのです。
「人の不幸は蜜の味」それでは自分は何も変わっていない
人の不幸を見て、自分が上に立ったような感覚になりますが、それでは自分は何も変わっていません。
そんなことを続けていても、ずっとそうやって生きていくしか無くなってしまいます。
ずっと自分は成長せずにずっと人を見下して生きていくことになってしまうのです。
もちろん自分よりも不幸な人も自分よりも幸せな人もいるでしょう。
自分より幸せな人を僻んだり、足を引っ張ったり、
自分より不幸な人を見下したり、ざまあみろと思ったりしても、
何も意味はないのです。
その場の欲求を満たしているだけで、自分の心が汚れていくだけです。
人が不幸だとしても幸せだとしてもそんなことよりも大切なのは自分自身の人生なのです。
人と比較して生きることをやめる
自分と他人を比較しても良いことはありません。
たくさんの人がいていろんな人がいるのです。
そんなたくさんの人たち全ての人と比べて生きていてもその比べる意味はあるのでしょうか。
例えば比べる相手が同じ目標に向かって頑張っているライバルという存在なら良いです。
お互いに意識して切磋琢磨し、お互いに尊敬し合って、そしてお互いに高め合っていく。
そんな風に比べるなら良いのですが不特定多数の自分とは関わったことがないような人と比べても何も意味はないのです。
大切なのは自分がどう生きるかです。
人と比べることを一度やめてみることで自分の心が楽になっていくでしょう。
あとがき
人と比較して、今の自分がどんな位置にいるのかということを人は知りたがります。
「自分がそんなに悪くない」
「自分は全然頑張っている」
そんな風に思いたい一心で人と比べて、自分の位置を知って人は安心するのです。
ですがそんな風に人と比べて生きていても一生人と比較する人生になってしまいます。
人の行動や結果を見て一喜一憂して自分の人生に焦点を向けずに世間や他人ばかりに注目して、そんな自分をないがしろにする人生に果たして意味はあるのでしょうか。
それよりも人と比較することをやめて自分にしっかりと向き合って、自分が努力して、自分を成長させていけば、比較したり人の不幸を喜んだり足を引っ張ったりすることはなくなります。
他人よりも自分。
人と比べることをやめて自分の人生にフォーカスして、自分の人生をどう生きるかを考えていくことで悩みから解放されていくでしょう。