私は自己表現をしたくてこうやってブログを書いている。
こうやってブログを書いていて、自己表現というものは一体何なのだろうかと思うことはある。
仮に、自分をありのままに表現することは自己表現だとする。
そうすると自分を偽って表現することは自己表現では無くなるだろう。
自己表現ではなくて他者表現になるだろう。
しかし、その他者表現を感じているのは自分であり、その自分とは別の何かを表現したいと思ったのはまさに自分自身。
だからそれは自己表現とも言える。
どちらかというと、
自分の想いをありのままに表現すること、そして自分が満足するために表現するものは「アート」であり、自分以外の誰かを表現したり誰かのために表現しているものが「デザイン」というものと表現される。
ただ自分が満足するために表現すれば「アート」。
他人が喜ぶために表現するのは「デザイン」。
どちらも自分が表現したものには変わりが無い。
だからどちらも自己表現ではあるが、誰に向けて表現するかによって変わってくる。
しかもどちらも両方の性質を持っていることがほとんど。
自分に向けて発信するもの、自分の心の全てを他人に見せるということはなかなか難しい。
人とに見せたくない日記をそのままネット載せて不特定多数の人に読んでもらうようなものだ。
どんなに自己表現をしたとしても、他人に見てもらうことを意識して表現すれば多少なりともデザイン要素は出てくる。
それをどれだけの割合で表現するかということだ。
実際自分だけのために表現したら完全なるアートと言える。
だけれどそれで人に評価されるというのはかなり難しい。
何故ならターゲットが自分だけだから。
自分に向けて表現しているのだから喜ぶのは自分。
自分さえ喜べばそれで良いと思っているのだから、それは自分にしか評価されないだろう。
それで他人にも評価される人は本当の天才だ。
だからこそアーティストは悩む。
「こんなものを表現したいとは思わないけれど、人に評価されるならやるしかない」
よくバンドマンが言うセリフだ。
「こんな曲を作ったら自分たちではなくなる。だったら解散だ」
そんなイメージがあるだろう。
自己表現し続ければ自分たちは満足するだろう。
しかし自分が喜ぶような、自分が満足するような叫びを他人が評価してくれることはなかなかなない。
だからこそアーティストは苦悩する。
と言うことがよくある。
それがアーティストの葛藤と現状だろう。
みんなそのように戦っている。
どこまでが自己表現で、どこまでいくと自分ではなくなるのか。
それは人によって全然違うだろう。
「自分が表現したものは全て自己表現だ」と思う人もいれば、
「自分が納得しないものは自己表現ではない」と思う人もいるだろう。
私個人の意見で言えば前者。
人は色んな側面があって初めて自分だ。
ネガティブな自分も自分。
ポジティブな自分も自分。
落ち込んでる自分も喜んでる自分も全て自分。
どこからが自分でどこからが自分じゃないというものではない。
全てが自分。
確かに自分のポジティブな姿が好きな人は、ネガティブな自分は自分じゃないと思いたい気持ちはあるだろう。
だが、それも自分だ。
ずっとポジティブでいられるものでもない。
自分らしくないなと思ってもそれが自分だ。
全てをひっくるめて自分。
自己表現というのはどこの部分を切り取って表現するかということだけであって、何を表現したとしても自分が表現したのならそれは自己表現であると私は思う。
だからこそ自己表現をしている人はどんなものを表現しても構わない。
もし自分のファンがいるのならその人はあなたのどんな部分でも見たいと思うのが普通だろう。
全ての人があなたの完璧な姿を見たいとは思っていないだろう。
人間は誰でも不完全だということは知っている。
だから別に自分の情けない姿を表現したってそれは構わない。
それも一つの自己表現だ。
自分が表現したいと思ったらそれは自己表現だ。
だから気にしなくてもいい。
自己表現というのは自分が人に何かを表現したいと思えばそれは自己表現なのだから。