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生きる意味や生まれてきた理由はあるのだろうか

深く人生について考えたことがある人は、

「自分が何のために生まれてきたのか」

「どうして自分が生まれてきたのか」

ということについて考えたことがあるかもしれません。

しかしその問いに答えを出せた人は少ないでしょう。

確かにいろんな考え方がありますしいろんな答えがあると思いますが、今回は私の答えについて詳しく説明していきたいと思いますので、最後まで読んでいただけると嬉しく思います。

目次

私たちが生まれてきた理由は何なのだろうか

私たちが生まれてきた理由を考えてしまってそのまま悩んでしまって前に一歩も進めないなんていう人もいるのではないでしょうか。

それはとてももったいないことです。

生まれてきた意味について悩み、立ち止まるのは今日で終わりにしましょう。

私たちが生まれてきた理由や意味があるのかという問いの答えについてなのですが結論から言いますと、

私たちが生まれてきた理由や意味はありません。

それでは生きる意味がないではないかと思われるかもしれませんがそうではありません。

私たちが生まれてきた理由ないというのは、

「完全に決められている生まれてきた理由がない」

ということです。

別の言い方をすれば、

「生きる意味は自分で作り自分で決める」ということが答えなのです。

そんな生きる意味なんて自分で決めるものではないと思ってしまうかもしれませんが、それは間違いです。

なぜなら人は自由に決める権利があるからです。

もし仮に生きる意味や生まれてきた理由が決められていたとしたら、人間は自由ではなくなります。

その生きる意味を全うするために生まれてきたことになりますから、その生まれてきた意味に縛られて生きていく事になり死ぬまでその呪縛に縛られます。

親を幸せにするという生きる意味が与えられたとしたら、どんなに嫌でも親を幸せにしなければいけません。

日本にいる人たちを助けるという生きる意味を持って生まれたとしたら、海外にいくことが出来なくなるかも知れません。

そんなの生きる意味ではなく単なる呪縛です。

呪いに等しいでしょう。

そんな不幸せな人生はないでしょう。

生まれてきた意味なんて無いのだから幸せに生きることが出来るのです。

生きる意味なんて無い方がはるかに幸せなのです。

自分で決めたくないのが人間

どうしても人間というか日本人の特徴かもしれませんが、

「自分で決める」ということがどうも苦手です。

自分でなかなか決められないのです。

特にこのように「生きる意味」というような大きな問題であればあるほど決められないのです。

住む家だったり職業だったりも大きな問題なのでなかなか決めるのは難しい問題でしょう。

それと同じように生きる意味もとても大きくそして難しい問題なので決められません。

ですから他人や外部に決めてもらいたいという気持ちを持ってしまうのは当然と言えば当然でしょう。

他人や外部に決めてもらうのはとても楽なことです。

しかし生きる意味や生まれてきた理由はそんなものではありません。

自分で決めるのです。

自分で決めることでもあり、自分で作っていくものなのです。

そして永遠に変わらないものでもないでしょう。

家族を幸せにすることが生きる意味であり生まれた理由かも知れません。

愛する人を幸せにすることかも知れません。

最高の芸術作品を創るために生まれてきたのかも知れません。

それは何か分かりません。

分からないですし自分で決めることですから、知っているのは自分だけなのです。

他人に何と言われようとも自分で作っていくもなのです。

なので最初から決められた生きる意味や生まれた理由なんていうのは一つも存在しないのです。

外部に答えを求めてはいけません。

答えは自分の心の中にあるのです。

生きる意味があるとすれば自分自身を幸せにすること

生きる意味がまるでないというとあまり良い意味に聞こえないと思うので、一つだけみんなが共通してある生きる意味を言いたいと思います。

それが自分自身を幸せにすることです。

他人や家族を幸せにすることも大切ですし最高の作品を創って世に広めることでも良いと思います。

それが自分の生きる意味だと思えればそれは生きる意味になるでしょう。

それも全て含めて私たちの生きる目的というのは、

「自分自身を幸せにすること」なのです。

家族を幸せにしてやりたいと思う気持ちは、それをする事によって自分自身が幸せになるからやるはずです。

芸術作品を創ることも、世に広めてみんなに知ってもらいたいという気持ちがあったとしても、それは自分がそれによって認められて最高の気分を味わえるからしたいはずです。

全ては自分の幸せの為にやることなのです。

その幸せは価値観によって変わってきます。

ですから自分自身が幸せになるにはどんなことをすれば幸せになるかは全然違うのです。

ですから自分自身を幸せにするという目的はみんな同じでも手段はまるっきり違うのです。

そしてそれで全然良いのです。

他人が幸せを感じる事に対して否定する必要もありません。

それはその人にとって一番幸せな事なのですからそれで良いのです。

逆に自分が幸せを感じることが他の人に比べると小さいような気がすると思ってもそれで良いのです。

他人と比較するものではありません。

自分が作るものなのですから自分が幸せであればそれで良いのです。

自分の幸せの為に人を傷つけても良い理由にはならない

それなら自分が幸せなら他人を傷つけても良いと言われるとそんなことは全くありません。

他人を傷つけることで自分自身だって完全に不幸になります。

罪悪感が生まれたり、他人を傷つける事によって自分が傷ついたり、恨まれたり、罪を背負ったりします。

全て自分が幸せになれないようなことが付きまといます。

そんなことをしていたら幸せにはなれないでしょう。

ですから他人を傷つけて良いというものではないのです。

自分が幸せになる為に他人を大切にするのです。

他人を大切にする動機は「自分が幸せになりたいから」でも良いのです。

それは偽善ではありません。

みんなそういうものなのですから良いのです。

他人を傷つけるのはやめましょう。

そして自分が幸せになる為に他人も大切にしましょう。

最後に

生きる意味や生まれてきた理由というのは考えれば考えるほど難しいと感じてしまうかもしれません。

それは難しいのは当然です。

だってそもそも生きる意味や生まれた理由なんてないのですから。

ないものを考えるのは本当に大変ですし答えも見つかりません。

しかし悩んだり迷ったり、落ち込んだりというような気持ちは持たないでください。

生きる意味がないから死んだ方が良いというものではないのです。

決まっている生きる意味がないからこそ私たちは本当の自由であり、一番幸せの近くにいるのです。

決まっていないのなら作れば良いのです。

確かに意味や目的がないと何もする気が起きないでしょう。

その気持ちは分かります。

しかし決められている方が辛いことを知ってください。

生きている意味が決められている人生こそ意味がないでしょう。

そんなの自分でなくても良いですし、ロボットで良いでしょう。

生きる意味がないからこそ人間でいられるのです。

自由でいられるからこそ人間なのです。

私たちは自分を幸せにする権利があります。

せっかく生まれたのですから自分自身を幸せにしてあげましょう。

生まれてから死ぬまで自分自身と付き合っていくのですから大切にしてあげましょう。

しかしそれに縛られる必要はありません。

それすらも自分で決めれば良いのです。

自分自身を幸せにすることが私たちの唯一の目的であり、生きる意味と言えるでしょう。

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