「あの人には才能がある」
「あの人は頑張っているけど才能がないから結果が出ない」
そんなことを周りは言うけれど結果的に才能があるのか、それともないのかというのは結果論でしかありません。
全く才能がないと思っていた人が何年後かに大成功していたら、その人は才能があるという評価を受けるでしょう。
逆にどんなに能力が高くても結果を出すことが出来なければその人は才能がない、もしくは能力は高いけど努力が足りないなんて言われることもあるでしょう。
「あの人は能力は高いけど頑固だから成功しない」
「あの人は能力が高くても努力しないからダメ」
結局他人は結果しか見ていませんし、他人は結果しか見れないものなのです。
ですから才能があるのかないのかなんて結果論でしかないのです。
今の自分に才能があるのかないのかなんて諦めてしまうまでは分からないのですから、最後まで自分が納得するまで続けていけば良いのです。
結果が出るまで、自分が諦めるまで自分が凡人なのか天才なのかは分からないのですから、自分が天才か凡人かなんて気にする必要は全くないという事なのです。
周りから見て、才能が無いと思われている人が時間をかけて結果を出すことが出来ればそれは「秀才」という言葉を掛けられるでしょう。
実際その秀才の人は最初から能力が高いのに、環境や住むところが悪くて結果を出せずにくすぶっていたかもしれません。
環境や運やタイミングで人生なんていくらでも変わってきてしまうのですから、その秀才という言葉も正しいかどうかは分からないのです。
天才というのは、人に評価されて初めて「天才」と呼ばれるのだから、人に全く関わらずにすごい才能を持っていてもそれはただの変人で終わってしまうということになります。
逆に能力が高くなくても何かのタイミングと人との関わりで大ブレイクして天才と呼ばれてしまう人もいるでしょう。
タイミングや運、環境によって天才や秀才、そして凡人も全て決まってしまうものだということなのです。
だから何も気にしなくても良いのです。
今の自分が天才か秀才か凡人かなんて誰にも分からないのです。
結果を出せば天才と呼ばれ、
結果を出せなかった人を凡人と呼ぶ。
結果を出すタイミングが早い人が天才と呼ばれ、
結果を出したタイミングが遅い人を秀才と呼ぶ。
ただそれだけのことです。
今の自分なんて今が何歳だったとしても人生においては通過点に過ぎません。
天才も秀才も凡人も結果論であり全ては紙一重です。
今の自分が凡人だと思っている人でも、今はまだ蕾なだけなのかもしれないのです。
その蕾がいつ花開くのかは誰にも分かりません。
自分がやりたいことをやりたいようにやっていけば良いのです。
結論:「天才」や「凡人」という言葉はとても都合の良い言葉。「自分は凡人だから」と諦めて、他人が成功すれば「あの人は天才だから」と諦める。
凡人や天才という言葉は他人の評価でしかなく、そして結果論でしかありません。
天才でもすぐに結果が出るわけではありませんし、凡人でも大きな結果を残す事はあります。
ですから結局のところ凡人も天才もないのです。
天才という言葉も凡人という言葉もとても都合の良い言葉だと私は感じてしまいます。
「結果が出ないのは自分に才能がないからだ」
「あの人が結果を出しているのは天才だからだ」
どちらにしても自分に対しての言い訳の言葉になってしまっています。
そんな言い訳をする暇があるのなら、とにかく自分なりに頑張ってみれば良いのです。
自分が天才なのか凡人なのかを判断する時間があるのなら、一歩でも前に進んでいくことです。
凡人も天才も結果論。
そんな結果論に振り回されるのではなく、自分が納得する結果が出るまでやってみれば良いでしょう。