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パラレルワールド(並行世界)は存在している。人それぞれ違う世界に生きて、その世界は無数に存在している

パラレルワールドという言葉を聞いた事があるでしょうか。

私自身そのパラレルワールドに興味があったわけではありませんが、私が考え事をしているときに気付いた事があります。

その気付き自体がパラレルワールドなのではないかと思ったので、今回はこういう記事を書こうと思いました。

パラレルワールドなんて興味がないと思っている人でも読めると思うのでぜひ読んでほしいなと思います。

目次

パラレルワールドとは

まず最初にパラレルワールドについてお話ししたいと思います。

ここでは私の思うパラレルワールドについてお話ししますので、ちょっと違う視点であったり、他の人が言うパラレルワールドとは異なる事があるかもしれませんが、その辺はご了承ください。

パラレルワールドとはどういうものなのかというと、

よく「並行世界」(へいこうせかい)といって、今いる世界とは別に今この瞬間と全く同時に存在している世界のことをパラレルワールドと言います。

「そんなのあるわけないじゃん。と思っている人がいるかもしれませんが、確実にあるとは言えませんが絶対に存在しないとも言えないでしょう。

「そんなのあるわけないじゃん。」と思っている人がいるかもしれませんが、絶対にそんなものは存在しないとは断言出来ないでしょう。

私はそのパラレルワールドが存在するというお話をこれからしていきたいと思います。

パラレルワールド(並行世界)は存在している

パラレルワールドと聞くと、スピリチュアルな世界だとか妄想の世界のように思えてしまうでしょう。

精神世界であって現実ではないとイメージしてしまいがちです。

確かに、この世界とは別の世界が無数に存在していると言われてもピンとこないだろうし、何よりも自分の目で確認することが出来ないジャンルなので、なかなか簡単に納得出来るものではないでしょう。

そんな確認出来ないものではありますが、私自身はパラレルワールドは存在すると思っています。

どうしてそう思うのかについて詳しく説明していきます。

同じ世界で生きていても違う現実が存在する

人それぞれ同じ世界に生きているように見えて同じ世界に生きていません。

一人一人がみんな同じ世界に生きているように見えて違う世界に生きているのです。

みんなが自分の世界(パラレルワールド)を持っていると言っても良いでしょう。

それはどういうことかというと、

例えば自分が悪口を言っていなかったとしても、相手が悪口を言われたと言っています。

お互いの言い分が違います。

それはある意味同じ現実に生きながら違う現実があるということです。

悪口を言った方は自分の中で本当に言っていないのです。

それは全く悪気がなく発言した言葉であれば、本当に言っていないのですから当然といえば当然でしょう。

しかしそれを言われた方は、どんなに言ってないと言われても自分にとっては言われたと感じたのですから言われたのです。

そうやって自分が悪口を言われたと感じてしまった時点で、自分の世界の中ではそれが真実なのです。

そうやって同じ現実世界を生きているのですが、それをどうやって感じるかによって全然違う現実になってしまうのです。

それは同じ世界に生きながらも別の世界に生きていると言っても良いでしょう。

みんなが同じ世界に生きながら違う自分の世界を持っているパラレルワールド

確かにこの世界はみんなが同じように生きていて、共通した世界にみんなが生きています。

その共通した世界が「現実」と表現されているでしょう。

相手のことを触れることが出来ますし、相手に接触したり干渉することは出来ます。

しかしその現実は「どう感じたか」によって全然違う世界にもなりうるのです。

自分自身は自分の視点からしか物事を見ることが出来ません。

どんなに頑張っても自分は他の誰かになることは出来ないのです。

生まれてから死ぬまで自分として自分の世界の中だけで生きて、そして死んでいくのです。

そしてその自分が感じたものは全て現実となるのです。

自分が感じたものは「現実」であろうがなかろうが自分にとってはそれが「現実」である

現実世界(みんなが同じように生きているこの世界)に存在しようがしなかろうが、自分が見えていたり感じていたりしたのだとしたらそれが現実になってしまうのです。

それが精神世界(妄想の世界)の出来事だったとしても、自分がそうだと言い張ればそれがその人の中では現実です。

先ほども言ったように、悪口を言われたと思えば悪口を言われたという思いがその人にとっては現実なのです。

他の例で言えば、

幻聴や幻覚が見えてしまう人はそれは他人から見てしまえばそれは幻聴や幻覚です。

しかしその幻聴や幻覚が見えている人にとってはそれが現実なのです。

自分が見えているものがはっきりと見えていれば、そrが現実のものなのかそれとも幻覚なのかというのは自分では判断は出来ないのです。

自分で判断出来ないからこそ幻覚なのです。

自分以外の他の誰かから幻覚だと言われるから幻覚になるだけであって、もし仮に周りにいる人が同じように幻覚が見えている人しか現実世界にいなければ幻覚ではなくそれが現実になってしまうのです。

そしてその幻覚が見えていない人がその中でいたとしたら、その人が「幻覚が見えている人」になります。

何故なら見えるはずのものが見えていないということになるのですから、その一般的に正常だと言われる人は異常者になってしまうのです。

そうやって人は他人と情報を共有しているので、何が現実でどちらが現実ではないかと判断していますが、この世界に自分一人しか存在しなければ、幻覚か幻覚ではないかの判断することが出来ないので、それは自分にとっての幻覚だろうと妄想だろうと全てが「現実世界」になってしまうのです。

それは、自分の感覚で感じたもの自分の世界にとっては全て現実になるということにもなるのです。

「異常なのか」それとも「正常なのか」という判断は結局多数決でしかないのです。

そして現代では科学で証明されているのか、科学で証明されていないのか、そしてその科学にみんなが賛成しているのかしていないのかという曖昧な判断でしかないのです。

見える人が多ければそれが正常になり、見えない人が多ければ見えない人が正常になるだけの話です。

幽霊を見える人が増えて見える人の方が多数になったとしたら、幽霊が見えるのは正常で、見えない人が異常という世界になるのです。

それくらい何が正しくて何が間違っているかなんていうものは存在しないという事なのです。

というか、そんなことはどうでもよくて自分が感じたものが全て自分にとっては現実になるのです。

それは何を意味するかというと、

一人一人全員が違う並行世界(パラレルワールド)で生きているということにもなるのです。

それぞれの世界が同時に存在していて、似たような世界で生きているがみんな少しづつ感じている世界が違う。

それこそがパラレルワールドの正体なのではないでしょうか。

あとがき

一人一人同じ世界に生きていながらも全く違う世界に生きているのです。

人の数だけ世界があるということです。

それは人だけではなく、動物や植物も同様に違った世界を感じているので全ての物質、そして物質以外の存在すら意識があるかも知れないので、パラレルワールドは無限に存在していると言っても良いでしょう。

この現実世界という共通の世界の中でみんなが同時に存在していますが、実際に生きているのは自分の世界(感覚の世界)の中で生きているのです。

「気のせい」とか「思い過ごし」というものは、確かにただただなんとなく感じたことかもしれませんが、それは確かに自分の中(自分の世界)では存在しているものなのです。

みんなそれぞれ自分の世界では「自分自身が主人公」であり、自分の世界からの視点でしか物事を見ることが出来ません。

ですからどんなに現実世界に存在しようとも、自分が何も知らずに感じなければ自分の世界では全く存在しないものになってしまいます。

もし日本から一歩も出ずに、海外の存在を知らずに情報が全く遮断されている暮らしをしていたとすれば、海外の人たちの存在を知ることなく死んでいきます。

その人たちからすれば海外で何が起きたとしても、何も起きていないのと同じなのです。

それだけ自分が知っている知識や自分が感じている情報が自分にとっては全てであり、それが自分にとっての世界なのです。

一人一人がみんな同じ世界に生きているようで、みんなが違う世界に生きているのです。

それこそがみんな一人一人が自分の世界(パラレルワールド)の中で生きていると言えるのではないでしょうか。

参考にしていただけるととても嬉しく思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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