「無駄」や「無意味」とは一体何なのだろうか。
時間を無駄にしたくないから効率よくやりたい。
答えを早く知りたいと思う気持ちは当然あるだろう。
早く答えを知りたいという気持ちはわかる。
しかし、無駄が嫌だという気持ちは分かるがその無駄とは一体どんなもののことをいうのだろうか。
よく、
「ゲームをすることは時間の無駄」
「ぼーっとする時間は無駄」
「友達と遊ぶ時間が無駄」
「もっと言えば睡眠時間が勿体無い」
そんな風に効率的で合理的なものを求める人が多いように感じる。
もちろんそのような気持ちは私も持っているので否定するつもりはさらさらない。
しかし無駄だという気持ちを持っているかも知れないが、何が無駄で何に価値があるのかということは自分の中で理解出来ているだろうか。
そもそも何を持って「無駄」なのだろうか。
ゲームをすることは時間の無駄だと思う人は、どうしてゲームは無駄だと思うのか。
- お金にならないから?
- 成長に繋がらないから?
- 将来の為にならないから?
それら全てかも知れない。
友達と遊ぶのも無駄と思っている人は、
特にそういった合理的で生産性のないものを嫌う。
無駄か無駄でないかというのは、
「生産性があるかないか」で決まるのだろうか。
ではその生産性とは一体何なのだろうか。
もしゲームをして、お金を稼ぐことが出来て、自分の成長に繋がればそれは無駄ではなくなるということになるのだろうか。
それでも無駄なのだろうか。
それは人によって異なるだろう。
そして時代によっても変わるはずだ。
将来もし、バーチャル世界が現実世界になって、「ゲームの中の世界が現実世界」になる日が来たとしたら、そのゲームをやること自体は無駄ではなくなるだろう。
それが現実になり、人生に変わるはずだ。
だからゲームが無駄ということは確定されているものではなく、時代によっても異なるということになる。
じゃあ無駄って何?
私が思う無駄というのは、
自分の目的や目指しているものとは違うものは無駄なものになるだろう。
現代では生産的でお金になるものがとても重視されている。
だからこそゲームや友達と遊ぶということは、無駄なものという定義になるのだ。
しかし人によって「楽しい人生を過ごす事が出来ればそれが最高の幸せ」と思っている人は、当然遊びは無駄ではなくなる。
「ストレス発散する事が目的」とすれば遊びは十分に重要なものになる。
だから、一概に何をすれば無駄で何をすれば有意義なのかなんていうものは決まっていない。
無駄か無駄ではないかということは、その人の価値観によって決まるものということなのだ。
当然と言えば当然なのだが、それが結論だ。
私個人の意見で言えば、
遊ぶことは確かに合理的ではないかも知れないし、生産的なものではないかも知れないが、そもそも生きる目的や何の為に生きて、何を目的として日々を過ごしているのかなんて分からない。
それ自体が自分で決めることなんだ。
どんな風に生きても良いし、全ては自分次第だ。
お金をたくさん稼いで贅沢したいというのならそれでも良いし、友達と遊んで楽しい人生を過ごしたい。
家族との時間が何よりも大切だと思って生きるも良し。
全ては自分次第なんだ。
私は私の人生は悔いのないような人生を過ごしたいと思っているし、結果を求めるのは大切なことだが、日々の人生もしっかりと楽しみたいと思っている。
今現在の考えでは、
日々自分のやりたいことをやりたいようにやりたいという気持ちで生きている。
それ自体は生産性がないこともやるし、無駄なこともやるかも知れない。
しかしそれでも、
自分自身から生まれてきた感情を消すことは出来ないのだから、その自分の感情と上手に付き合って、ストレスのない人生を送りたいと思っている。
だからこそ生産性ばかりを求めずに、自分の感情や心が満足出来るような人生を構築していきたいと思う。
無駄か無駄ではないかは自分が決める。
有意義な人生にするかは自分自身の心が決めることだと思うからこそ、自分の心に素直に生きていきたい。
私はそんな風にこれからも生きようと思う。
最後まで読んでいただきありがとうございました。