みんな「なんとなく」感じているものがあるはずなのに、その感覚をなんとなくだから自分の勘違いだと思い込んでしまっていることがとても多いです。
しかし本当はその「なんとなく」がとても重要で、そのなんとなくの精度が高まってくることによって、そのなんとなくがなんとなくではなくなってくるのです。
そのなんとなくという感覚は、現実では何も存在しないかも知れませんが、自分の中では確かに感じているものです。
そのなんとなくというのは自分の目に見えるものではありません。
人はかなり目を使っているので、目に見えないものは存在しないものだと勝手に思い込んでしまうのです。 そうやって目に見えないものは存在しないと思ってしまう原因であり、それも一つの思い込みと言えるでしょう。
実際現代の化学製品でいえば、Wi-Fiだったり、赤外線や紫外線ももちろん目に見えません。
テレビのリモコンで操作しても目に見えない光線が出ているわけですが、存在しないものとは認識していません。 みんな存在するものだと認識しているのです。 それもおかしな話だとは思いませんか?
それは知識があるから存在しているという認識になっていますが、それも見方を変えれば目に見えないものですから存在しないものになってもおかしくありません。
ですが確実に存在しているものです。
オーラが見えるという人でもそれは同じことが言えるはずです。 初めはなんとなく見えた気がするくらいのものだったりしますし、そのなんとなくが見ているうちになんとなくではなくなってくるのです。
「虫の知らせ」なんていうのも完全になんとなくの世界の話です。
しかしその「なんとなく」は自分の中では確かに何かを感じ取っているのです。
そのように感覚というのは目には見えませんし、現実には存在しないものです。
もっと言えば、 「痒み」や「痛み」も目には見えません。
人の痒みが見える人はいないでしょう。
痒みだって目に見えないのですから存在しないものになってしまいます。
「背中が痒いから掻いてくれ」と頼んだら、 「背中見たけど何もないから痒いはずがない」と言われたらどうでしょうか。
「俺は確かに痒んだから掻いてくれ」となるはずです。
なので目に見えないから存在しないと考えるのは、その考え方自体も自分の思い込みと言えるでしょう。
もっと言えば、 心の痛みや息苦しなんていうものは自分以外の誰にも分かりません。
気持ちや心の問題というのは本当に苦しいものですが、他人には分からないものなのです。
自分のことは極論自分にしか分からないのです。
目に見えるか見えないかよりも、自分がどう感じているのか、自分の中でそのものが存在しているものなのかということの方が重要だということです。
自分の感覚というのは他の誰かの意見よりはるかに重要なのです。
自分の感覚が重要だということについて詳しく書いている記事はこちらです。