自分は真面目で常識が分かっていると思っている人ほど現実が正しく見れていないし、常識が分かっていない


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「自分は常識が分かっている」

「みんな非常識だ」

「自分は勉強しているからちゃんと分かっている」

「私はちゃんと考えている」

そう思っている人ほど常識が分かっていない可能性があります。

なぜそう言えるのかというと、

常識だと思ってるものは自分の視点や立場、状況から見れば常識かも知れませんが、立場が変わればまた常識というものは変わるからです。

「挨拶は立場が下の人からするものだ」

という考えを持っている人がいたとします。

確かに立場が下の人からするべきでしょう。

しかし、立場が下の人が自分に気付かずに無視してきたとします。

「あいつは挨拶も出来ない不常識なやつだ」

そう思うのはあまり正しい考えだとは思えません。

気付かないことは人間ですからありますし、逆に自分に目を向けてみれば相手に気付いているにも関わらず挨拶をしない自分は正しいのでしょうか。

そもそも立場が下だからといって、人間的にも下に見るのは正しい行いなのでしょうか。

それが常識なのでしょうか。

私はそうは思いません。

常識なんていうものはそもそも曖昧で、決まっているわけではありません。

自分の住む場所やグループによっても変わってきます。

会社によっても常識は違いますし、家族によっても変わってきます。

ですからその常識だと思っているものは、自分の思い込みかも知れないのです。

もちろんそのグループの中での決め事があるのならそれは守るべきですが、決め事でなければそれが本当に正しいことなのかは分かりません。

常識というのはそれだけ曖昧なものだということを理解しておきましょう。

目次

自分を疑う勇気を持て

常識にとらわれている人というのは、どんどん自分の世界に飲まれてしまいます。

自分が正しいと思い込んでしまうのです。

確かにそれで全てがうまくいっているのであれば良いのですが、常識を持っている人ほど悩みは絶えません。

なぜなら、みんなそんなにあなたの常識のままに動いてはくれないからです。

他人に対して常識が分かってないと思う時というのは、自分の思い通りにならなかった時に感じるものでしょう。

自分の思い通りにならなかったら相手に対して常識が分かっていないと思うのは、子供が思い通りにならなくてゴネているのと何も変わりません。

自分の常識を否定し、いろんな立場から物事を見て、より正しい答えを導き出すことの方が良い結果を生むのではないでしょうか。

自分が思っている常識を疑う勇気を持ちましょう。

その方が器の大きな人間になるでしょう。

相手を受け入れる広い心を持つことで人間的に大きな成長を遂げる

ああじゃないこうじゃないと自分の常識を相手にぶつけるよりも、どんな相手に対しても「そういう人もいるよね」というように、相手を受け入れる広い心を持つことの方が人生を豊かにするでしょう。

小さなことに対してグチグチ言っている自分というのは、正直あまり美しい姿だとは思えません。

そんな小さなことを気にする人と仲良くしたいとは思いませんし、ついていきたいとは思わないでしょう。

相手に対して文句を言うのではなく、自分自身がどう生きるのかと言うことの方が重要なことです。

「相手が間違っているから否定する」

それは別に悪いことではありません。

しかし本当にやるべきことは、

「間違っていることがあるのなら正しい答えを教えてあげる」と言うことが本当にやるべきことなのではないでしょうか。

その方が自分自身の成長に繋がり、よりかっこいい自分になれるのではないでしょうか。

「相手に目を向けるのではなく自分がどう生きるのか」

常識人ほどそう言うところを意識して生活することが重要だと私は思います。

私が思うこと

常識というのはもやっとしているものかも知れませんが、確かにみんなの中に存在するものです。

しかしその常識というのは、生まれた時代も違いますし生まれた場所も違います。

育ってきた環境も違うのですから、自分の常識がみんなの常識だと思うのは私はとても傲慢な行為だと感じてしまいます。

「自分は間違っていないのだからみんな私に従え」と言っているようなものです。

常識人というのは大げさに言えば、自分の正義を盾にそうやって相手を攻撃しているのです。

そうやって自分の常識を相手に押し付けるのは常識なのでしょうか。

とても正しく素晴らしいことなのでしょうか。

私はそうは思いません。

じゃあどうすれば良いのかと考えてしまう人がいるでしょう。

そこで私が出した結論は、

たくさんの視点から物事を判断して、自分が間違っている所を探します。

そして間違いがあればそれを正し、間違っていなかったとしても相手を受け入れる努力をします。

その人にはその人の生き方がありますし、その人はその人なりの考えがあるのです。

なのでその考えを理解しようとする努力をします。

それでも受け入れられなかったら自分の器がまだまだ小さいと感じてしまいます。

確かに相手を完全に理解するということは出来ません。

それはとても痛感してしまいます。

しかし、理解出来ないからといって否定するのは正しい行いとは思いません。

受け入れられなかったとしても理解しようとすることは大切です。

理解出来なかったとしても、ただ相手を否定しないという心は持つべきです。

相手のことが分からなければ排除するということを繰り返していればいつまで経っても争いはなくなりません。

どうしても理解出来ないのなら排除しなくても距離を置けば良いのです。

やりようは色々あります。

なので、自分は常識が分かっていると思っている人ほど自分の常識を疑う勇気を持って欲しいと思います。

私もまだまだ未熟です。

お互いに切磋琢磨して成長していきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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