悟りを開くためにとても重要なこととそのコツがあります。
それは全てを客観的に「見る」ことで悟りに近づく事ができます。
よく物事を客観的に見るとよく分かると言われていますが、
それとはまた少し違った「見る」が必要です。
今回はその「見る」とは一体どういう事なのか、そして見るとはどうすれば出来るかについて書いていきます。
客観的に見るだけでは物事の本質は見えない
よく客観的に見れば物事の本質が分かると言われているけれど、なかなか客観的に見る事ができないと言う人は多いでしょう。
客観的に見るというのは全てを多方向から見るという事です。
- 自分から見た視点
- 相手から見た視点
- 第三者から見た視点(上から見た視点)
という風にいろんな視点から物事を見れば正しい答えを見る事ができるでしょう。
確かに客観的な視点を持つことは大切です。
しかしそのような客観的な視点を持っていたとしてもそれだけではなかなか悟りへ近づく事は出来ません。
何故なら、いくら客観的に見たところでそれは自分の視点から客観的に見ているだけで、本当の客観的な視点になっていないからです。
客観的に見るというのは、自分の視点から客観的に見ているだけであって、本当に客観的に見る事はなかなか出来ないのです。
どうしても自分の価値観の中からしか人は物事を見る事ができません。
生まれてから死ぬまで自分ずっと自分自身しか知らないので当たり前のことです。
客観的な視点になった気分になる事は出来ますし、人の気持ちが分かった気分になる事は出来ますがそれはあくまでも、
客観的に見ている自分からの視点でしかないのです。
客観的に見る自分ではなく見る
客観的に「見る」ことをしても本質が見えないのならどうすれば本質を見ることが出来るのかというと、
「見る」というのは言葉通りにただ見ればよいのです。
客観的に見ようと思うとどうしてもどうすれば客観的に見れるだろうか。
相手の気持ちになって客観的に見よう。
という風になります。
それは客観的に見ているのではありません。
客観的に見ようとしている自分になっているのです。
悟りを開くためには客観的に見るのではなく「ただ見る」のです。
ただ見るとはどういうことなのか
では「ただ見る」というのはどういうことかというと、
その言葉通りです。
ただ見ればよいのです。
例えば、自分がイライラしていたとしたらその自分を客観的に見て理解しようとしても感情に飲まれてしまうのでなかなか客観的に見る事は出来ません。
客観的に見た上でまたイライラしてしまうでしょう。
ただ見るというのは、
自分のイライラした感情をただ見るのです。
いま自分はイライラしているな。
と見るだけで良いのです。
自分が嬉しいことがあったとしたら、
いま自分は喜んでいるな。
と見るだけで良いのです。
他人にバカにされたとしても、
この人が自分をバカにしているな。
と思うだけで良いのです。
それ以上でも以下でもありません。
ただその現実を「見る」だけで良いのです。
人は何かを感じた瞬間に自分の考えや感想を同時に感じます。
人にバカにされてイライラした。並んでいた列に割り込まれてイラっとした。
というように行動について感想を自分の心の中で述べているのです。
しかし現実では、
「人にバカにされた」という現実があるだけでその後の感想は自分の心の中にあるだけです。
「並んでいた列に割り込まれた」という現実があるだけでイラっとしたというのは自分の感想です。
その感想の部分はいらないものなのです。
その感じたことばかりにとらわれていると感情に飲まれてしまうのです。
しかし、その感情を見ることで自然と感情が湧いてこなくなるのです。
人にバカにされているな。
と思うだけならイライラする必要がなくなります。
仮にイライラしてしまっても、
いま自分はイライラしているな。
と見るだけで良いのです。
そうすれば感情に飲まれることがなく客観的に物事を見ることが出来るのです。
「ただ見る」とどうして悟りに近づくのか
しかしだからと言ってその客観的に見ることがどうして悟りに近づいていくのかと言うと、
「ただ見る」事をすれば全てを客観的に見れるので、自分の感情すらも客観的に見ることが出来るのです。
最初に話したように、
客観的に見ている自分ではなく本当に客観的に見ることが出来るので感情に飲まれずに穏やかで平穏な心でいることが出来るのです。
初めに話した、
「物事を客観的に見る」では自分の感情を客観的に見る事は出来ません。
出来事については客観的に見ることが出来てもその結果、最終的には自分の意見や感想を述べることになるので感情には飲まれてしまうのです。
悟りに近づく「ただ見る」はその生まれた感情すらも客観的にただ見るので、心がブレたりすることがなくなります。
悟りを開くために必要な事は、心の平穏と欲や感情に振り回されない人生を送る事です。
そのためには客観的に見るだけでは悟りには到達することは出来ません。
物事をただ見るだけで良いのです。
その視点を持つことで悟りは開かれるのです。
「ただ見る」を習得するためのコツ
ただ見るといってもなかなかその見る事というのは慣れないと出来ないでしょう。
ただ見るためのコツは、
とにかくただ見る事を続けていけば良いのです。
例えば、
人に馬鹿にされてイライラしたとしたら、
人に馬鹿にされたな。(と思うだけ)
いま自分はイライラしているな。(と思うだけ)
客観的に見ようとしているな。(と思うだけ)
客観的に見ようと思っても出来ないな。(と思うだけ)
落ち着いてきたな。(と思うだけ)
何も感情がなくなった(と思うだけ)
というように生まれてきた感情や心のざわつきを全て受け流す事で「ただ見る」ことが出来るようになります。
感情で終わりにするのではなく、
出来事やそこにある現実で話を終わらせれば良いのです。
ただ現実があるだけ。
ただイライラした感情があるだけ。
そこで話を終わらせることで感情がぐるぐる回らずにそこで終了するので感情に飲まれないのです。
感情ばかりに気を取られているとどんどん感情の渦に飲まれてしまうものです。
感情とは自分の心の中で作ったものです。
現実とはまた違うものです。
その自分が作ったものに飲み込まれてしまうとどうしても心の平穏は訪れないでしょう。
ただ見ることで感情の渦から解放されるのです。
あとがき
客観的に見ることも大切なことですが、
悟りを開いて苦痛のない人生を送るためには「ただ見る」ことが大切です。
ただ見ることで感情の渦に飲まれることなく心の平穏をもたらします。
悟りの目的は、心の平穏と苦痛のない人生を送ることです。
そのためには感情に飲み込まれていたり振り回されてしまっていてはいつまで経ってもその苦痛から逃れることは出来ません。
悟りに近づくには、
「ただ見る」だけで良いのです。
色々考える必要はないのです。
ただ見ることで悟りは開かれていくのです。