本当の優しさとはどんなもののことを言うのか。優しさの定義とは。


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人から優しいと言われて嫌な気持ちになる人はほとんどいないでしょう。

しかし実際に「優しい」と言われても、優しさって一体なんだろうかと言われると答えられる人は少ないでしょう。

人の為に行動できる人?

自己犠牲ができる人?

他人に気をつかえる人?

そんな風に考えると何が正解なのか分かりません。

なので今回は優しさの定義について私の考えを書いていきたいと思います。

目次

人に優しく出来る人間は優しい人なのか

基本的に優しいと言われる人というのは、自分を優先するのではなく他人を優先する人に多いです。

「自分自身はやるべきことがあったとしても頼まれたら断れない人」

そういう人は一般的に優しい人と言われます。

しかし、それってある意味自己犠牲でもあります。

自己犠牲というのは、人を優先して自分を後回しにすることです。

それは他人は喜ぶかもしれませんが、自分自身は損をします。

それは他人に優しく自分に厳しい人です。

それは本当に優しいと言えるのかというと私はそうではないと思います。

自分自身も人間です。

自分という人をないがしろにしてしまっては人(自分)に厳しい人になってしまいます。

それは本当に優しい人だと言えるのでしょうか。

確かに優しくしてくれた人は喜ぶでしょう。

だって自分がやってほしいと思っていたことをやってくれたのですから嬉しいでしょう。

それはその人にとって優しい人になるでしょう。

優しさはありがた迷惑にもなる

優しさというのはありがた迷惑になることもあります。

自分は人に対して優しくしたつもりでも、受け取った側が求めていなければそれは優しさにはなりません。

ただの押し付けです。

「良い人なんだけどね」と言われてしまうでしょう。

求めているものをやってもらった時に人はこの人は良い人だ。優しい人だと感じます。

求めていないものを押し付けられたら迷惑です。

欲しくもないのに果物を大量にくれると言ってくれた人がいるとします。

これから出掛けるのに大量の果物を持たされるとずっと持ったまま出掛けることになるので、本当は今は受け取りたくないのですがどうしても受け取ってほしいと言われた時というのは、とてもありがた迷惑です。

しかし、果物を渡している側としては善意でやっています。

美味しい果物があるから食べてほしいと思っているのです。

それは優しい人とは言わないでしょう。

空気の読めない人と言われてしまう可能性もあります。

優しい人というのは、相手の事を考えられないと優しい人にはなれないのです。

相手の事を考えることができたら優しい人なのか

相手の気持ちを考えられないと優しい人になれないと言いました。

では相手の気持ちを考えることが出来たら優しい人になれるのかと言われるとそんなことはありません。

相手の事を考えて、将来の為にちゃんと勉強をした方が良いとアドバイスをしたとします。

その人は大学へ行きたいというからアドバイスをしました。

アドバイスをした結果、大きなお世話と言われてしまいました。

相手のことを考えたはずなのに逆に怒らせてしまった。

それは確かに相手のことを考えていましたが、相手の気持ちを考えられていなかったかもしれません。

それは受験を控えていればプレッシャーを感じているのは当然といえば当然でしょう。

そんな時にもっと勉強した方が良いと言われても、

「分かってるよ!」と言いたくなるでしょう。

相手の気持ちをちゃんと理解してあげることが優しさには必要でしょう。

相手の気持ちを理解してあげることが本当の優しさなのか

じゃあ相手の気持ちを汲み取って、相手の願いを叶えることが本当に優しい人なのかというとそれもまた違います。

相手のことを考えてその人を気持ち良くすることは、優しさではなくお人好しです。

お人好しでもあり、あまりにもお人好し過ぎると都合の良い人間になってしまいます。

相手のことを考えるだけではお人好しであり、都合の良い人にもなりかねないのです。

優しさというのは本当に難しいものだと痛感させられます。

じゃあ本当の優しさとは?

今まであれこれいってきましたが、じゃあ本当の優しさってなんなの?というのが今回の本題です。

優しさというのはやり過ぎると都合の良い人になってしまって、むしろその人にとっても自分にとっても良くない結果を招くこともあるでしょう。

お互いにそこに悪意がなくても、間違いがなかったとしても間違った結果を招くことはあるのです。

本当の優しさというのは、

相手のことを本気で考えられる人のことを私は本当に優しい人だと思います。

相手のことを本気で考えられる人というのは、それだけ人への思いやりを持っている人間です。

自分が良ければ良いと思っている人間ではないということです。

それだけでも十分に素晴らしい人間だと私は思います。

確かにその優しさの形を間違えることは当然あるでしょう。

人が喜ぶことをし過ぎて、その優しさに甘えてワガママな人になってしまうことがあります。

人への思いやりがあった結果、悪い方向へと進んでしまった例です。

しかしそれは、いつかその人も甘え過ぎたなと気付く時が来るはずです。

そして自分自身も、やり過ぎたなと気付くはずです。

そのように優しさというのは結果も大事ですが、

「相手を思いやる気持ちがあるかどうか」

「他人に対して自分の気持ち、(エネルギー)を掛けられるかどうか」

が重要だと思います。

それだけ他人のことを本気で考えられる人は本当の優しさを持っている人間だと私は思います。

そういう気持ちを持っている人は、ぜひ続けていって欲しいです。

他人が感じる優しさとはどんなものなのか

本当の優しさについては述べましたが、他人が感じる優しさというのはまた別の話ではあります。

本当の優しさを持って行動しても、その行動が本当に相手に伝わるかというと別の話だからです。

他人が感じる優しさというのは、自分のことを本気で考えてくれるかどうかはもちろんですがそれ以上に大切なものが、

自分が求めているものをやってくれる人のことを優しいと感じるのです。

自分が喉が乾いているとしたら、言ってもいないのに飲み物を買ってきてくれる人がいたらどう感じますか?

とても優しい人だと感じます。

自分が求めていることを先回りしてやってくれる人、感じ取ってくれる人のことを人は優しいと感じるのです。

または、自分が求めている以上のものを受け取った時に優しい人だと感じます。

誕生日プレゼントで友達だからちょっとしたものをプレゼントしてくれるのかと思ったら、思った以上にすごいものをもらった時に優しいと感じるでしょう。

私のことをこんなに思ってくれているんだと感じるのです。

どちらにせよ、自分のことを考えてくれていると感じた時に優しさというのは感じるのです。

気配りが出来る人と言うのは基本的にみんなの気持ちを考えて行動出来るので、そう言う人は優しい人と思われるでしょう。

「自分のために何かをしてくれた」と言う現実があれば、やはりその人は優しいと感じるものなのです。

最後に私から一言

優しさというのは、とても曖昧なものですし人の感じ方の問題なので定義するのはとても難しいものです。

同じことをしたとしても、それを優しいと思う人もいればお節介や大きなお世話だと感じる人もいます。

なので何をしたから「優しい」というものではないのです。

だからこそ優しさというのは難しいのです。

たとえ見返りを求めた優しさだったとしても、受け取る側が嬉しければ優しさになりますし、どんなに無償の愛だったとしても優しさではないこともあるのです。

しかし一つ言えることは、

自分のことだけ考えて、他人のことはどうでも良いと考えている人に対して「優しい」と感じることはないでしょう。

自分中心の人は優しいとは言えません。

なので優しい人と言うのはみんな他人のことを考えられる人間ではあるのです。

私は自己犠牲までして優しい人間になる必要はないと思っています。

それは自分自身がいつか壊れてしまうからです。

そしてあなたのことを大切に思っている人にとっては、それは良い行いではないですし、自分のことを大切に思ってくれる人に対してはそれは「優しさ」ではないからです。

それに自己犠牲にしてまで優しさを与えられても嬉しくない人もいるからです。

ですから自分の出来る範囲で、自分の気持ちを分けてあげるくらいの優しさが良いと思います。

それでもそれだけ他人のことを思いやる気持ちを持っているわけですから素晴らしいことです。

「他人を思いやる気持ち」

それこそ本当の優しさなのだと私は思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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